はじめに―藤原顕信とはどのような人物だったのか
藤原顕信(ふじわらのあきのぶ)は、平安時代中期の貴族であり、摂政・太政大臣である藤原道長の三男として生まれました。幼名は苔君(こけぎみ)といい、将来を嘱望された貴公子でした。
しかし、19歳の若さで突如出家し、仏門に入ったことで知られています。その行動は父・道長や当時の貴族社会に大きな衝撃を与えました。そんな藤原顕信ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、母・源明子から出世を期待されて育つも、道長に出世を阻まれて出家する人物(演:百瀬朔、幼少期:佐藤遙灯)として描かれます。
目次
はじめに-藤原顕信はどのような人物だったのか
藤原顕信が生きた時代
藤原顕信の足跡と主な出来事
まとめ
藤原顕信が生きた時代
顕信が生きた平安時代中期は、藤原道長が絶大な権力を握り、最盛期を迎えていました。貴族文化が花開き、宮廷では華やかな行事や文化活動が盛んに行われていました。一方で、仏教への信仰も深まり、多くの貴族が出家や仏教活動に関心を寄せている時期でもあります。
藤原顕信の生涯と主な出来事
藤原顕信は、正暦5年(994)に生まれ、万寿4年(1027)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
幼少期と輝かしいスタート
正暦5年(994)、藤原道長と源高明の娘・明子(あきこ、または、めいし)との間に生まれた顕信は、幼い頃から優れた才能と高貴な家柄に恵まれていました。
寛弘元年(1004)、11歳で兄たちとともに元服し、従五位下に叙せられます。翌年には侍従に任じられ、昇殿を許されました。舞の名手としても知られ、賀茂神社や石清水(いわしみず)八幡宮、大原野神社、春日社などでその技を披露し、周囲から高い評価を受けていました。
【突然の出家と両親の悲嘆。次ページに続きます】