取材・文/坂口鈴香
【まさか自分が? 甘く見てはいけない熱中症 前編はこちら】
何度も熱中症に襲われた原因は思わぬ病気だった
前編では熱中症にともなう脱水症状から意識障害を起こしたカメラマンの久志田さんの事例を紹介したが、同じくカメラマンの西村真理子さん(仮名・58)も炎天下での撮影現場で熱中症に襲われた。それも複数回だ。
「数日来、体調があまり良くなかったのに加えて、撮影現場まで大量の機材を抱えて5分ほど歩いたところでダウンしてしまいました。しばらく日陰で休憩させてもらって、なんとか撮影は終えたのですが、それから数日後また撮影現場で具合が悪くなり立っていられなくなったんです。水分は意識して取るようにしていたのですが、日差しのなかでの撮影がこたえてしまって……」
このときもしばらく休んでいると、仕事ができるくらいには回復したのだが、その後も倦怠感が抜けなかった。喉も痛んでいたが、コロナにり患したときほどひどくはない。のど飴をなめていれば治まる程度だったので、熱中症の後遺症だと思っていた。キャンセルできそうな仕事は断り、泊まりをともなう仕事は日帰りにしてもらって対応しながら、綱渡りのように仕事を続けていた。
すると数日後、同居している高齢の父親が高熱を出した。検査をしたところ、溶連菌感染症(溶連菌が主に喉に感染し、発熱や喉の痛みが出る感染症状)であることが判明したのだ。
その翌日、西村さんはどうしても断れない出張撮影が入っていた。
「父が溶連菌感染症ということは、もしかすると私が感染源なのかもしれません。熱はありませんでしたが不安になって、出発前に空港に入っているクリニックを受診して、検査をしてもらうことにしたんです」
結果は、やはり溶連菌感染症だった。
「医師は、溶連菌の薬と、連日の熱中症による脱水症状を改善する薬を出してくれました。仕事はやめておいたほうがいいと言われましたが、大事な仕事に穴を空けるわけにはいきません。担当編集者だけに事情を話して、クライアントにはなるべく近よらないようにして撮影をこなしました」
出張撮影は完遂できたものの、その後の仕事はすべてキャンセルせざるを得なかった。フリーの西村さんにとって、1か月の休養はこたえるが背に腹は代えられない。高熱が下がらない父親に対する申し訳なさもあった。
「私がうつしてしまった責任があるので、自分の養生と父の看病に専念しようと思いました」
高齢の父親への影響は大きく……
西村さんの症状は薬が効いてずいぶん良くなったが、父親は39度前後の熱が半月以上続いた。
「溶連菌の薬でも改善しなかったんです。医師からは溶連菌感染後の原因不明熱ではないかと言われました。ステロイド剤を服用してやっと熱がおさまりましたが、体力がすっかり落ちてしまい、認知症の症状がひどくなってしまいました」
責任を感じていた西村さんは、通院の付き添い、食事や入浴の介助はもちろん、毎晩父親の足をマッサージまでしたという。
「毎日一緒にいて、認知症の父がこんなにストレスになるんだと身に沁みてわかりました。今薬を飲んだことを忘れて『薬は飲んだか』と聞く。『今飲んだじゃない』と言っても、次の瞬間にはもう『薬は飲んだか』と言っている。こういう会話を一日中何十回も繰り返すんです。トイレも毎回汚すので掃除に追われるし、家も臭い。毎日一緒に過ごしている母の大変さがよくわかりました」
幸い、母に溶連菌はうつらなかったものの、母親は介護ウツのような状態になったという。西村さんの体調も、まだ本調子とはいえない。仕事は再開したが、体調と相談しながらボチボチというところだ。無理はできない。
「迷惑をかけてしまった仕事先の人たちには、これから事情を話して謝ろうと思っています。そして今後、両親をどうするかも考えていかないといけません。頭が痛いです」
飛んでしまった1か月分の仕事は痛いが、この異常な暑さで命を落とさなかっただけでも良しとしないといけないと笑う。命がけの夏、来年はさらに強力になっているのではないか。考えるだけで恐ろしい。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。