厚生労働省は、従業員と同じように最低賃金を適用し、有給休暇の取得ができるギグワーカーを認めるという。ギグワーカーとは、業務委託契約で働くフリーランスの一種で、インターネット上のプラットフォームを経由して単発の仕事を請け負う働き手を指す。
吉則さん(66歳)は「雇用延長が終わった今、スキマバイトができるギグワーカーを選んだ」と語る。彼は有名私大から地方のメーカーで海外進出を担当し、自治体職員になった経歴の持ち主だ。
東南アジア進出で「人間は便利で安全のためならなんでもする」と痛感
吉則さんは転職を2回経験している。東京の有名私立大学の経済学部を一留後に卒業してから、東海地方の繊維関係のメーカーに就職した。
「僕が就活をしているときに5歳上の大学先輩から声がかかった。先輩は親の会社に専務として入ったんですが、新規事業を立ち上げたくても、古参の社員から猛反発を喰らっていた。“四面楚歌だから助けてくれ”と言うので、地元・東京を離れて、東海地方の会社に就職しました」
先輩は曽祖父が明治時代に立ち上げた会社を拡大したかった。そのために海外進出を狙っていた。
「他にも何人かがスカウトされていて、僕たちの共通点は明るくて英語ができること。今でも仲がいいですよ。先輩はアジア関係に不思議な人脈を持っており、インドネシアほか東南アジアに行き、自社製品を売り込んでいました。1981年代初頭だから、今とは全く違い、海外は何もかもが大変でした。高額な国際電話でホテルの予約をして、現地に行くと、ストリートチルドレンにお金をねだられて……」
当時、現地では、牛を使って農業をして、船で川を渡っていた。道路は舗装されておらず、常に土埃が舞っていた。今とは風景が全く異なったという。
「最初に行ったときは、“ここでウチの製品を使うようになるまで30年以上かかるんじゃないか”と思いましたよ。仕事は順調だったからあまり覚えていないんだけれど、今でも強烈に思い出すのは、氷が入った飲み物を飲んで赤痢になったこと」
吉則さんは、戦後日本の清潔な環境で育ってきた。生水やジュースを飲まないことには気をつけていたという。しかし、現地の高級ホテルのラウンジで、氷が入った飲み物をうっかり飲んでしまった。その数日後、強烈な悪寒と腹痛に襲われた。
「上からも下からも出るし、さらに海外でしょ。命の危険を感じて、救急搬送してもらいました。これがまた高額で。会社が出してくれましたが、当時のお金で20万円くらいだったと聞きました。日本の保険制度はありがたいですよ」
この会社では7年間夢中で働き、海外進出が成功して安定が見えてきた。そんなときに先輩の悪どい面を見てしまい、転職を決意する。そのことを伝えると、先輩からは「いずれ、役員になってもらう。いてほしい」と言われたが断ったという。
「いい経験はさせてもらいました。あそこで学んだことは、“人間は便利で安全のためならなんでもする”ということ。明らかに貧しい現地の人が、私たちの製品を買って使うんだもの。日本よりもかなり割高で売っているのにね。世界中であっという間にスマホが普及したのもよくわかります」
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