厚生労働省は、従業員と同じように最低賃金を適用し、有給休暇の取得ができるギグワーカーを認めるという。ギグワーカーとは、業務委託契約で働くフリーランスの一種で、インターネット上のプラットフォームを経由して単発の仕事を請け負う働き手を指す。
吉則さん(66歳)は「定年後、マイペースで働きたいから、スキマバイトができるギグワーカーを選んだ」と語る。彼は大学卒業後、東海地方のメーカーで7年間働き、東南アジア進出のチームに入り成功させる。広告関連会社に転職し、年収1000万円を達成した後、半年間バックパッカーに。帰国後はある自治体の職員になり、60歳で定年を迎えた。
【これまでの経緯は前編で】
地域に貢献したいという思いが強い
吉則さんは現在、30代半ばで結婚した同じ歳の妻と生活している。妻は大学の同級生で、現在も会社員として働いている。
「定年の1年くらい前から、再雇用の話が出たときに妻に相談したんです。彼女は“とりあえず、65歳まで働きなよ”と。僕は、30歳の半年間でバックパッカーをしていた経験から、旅にすぐ飽きることをわかっていたんですよ。子供がいないから夫婦でよく海外旅行に行っていたけれど、どんなに楽しくても1週間が限界。だから、働こうと」
再就職先として提案されたのは、教育関連、介護関連、福祉関連などの部署だったという。
「僕は中学校の教員免許も、学芸員資格も持っています。担当者にそのことを伝えると、中学校の補助教員にならないかと言われましたが、それは断りました。60歳で未経験の僕に先生のオファーをするなんて、本当に人手不足なんだなと思いました」
それから、1か月後に郷土資料館の職員はどうかと提案され、その話を受けることにした。
「地域に貢献したいという思いが強く、郷土資料館ならできると確信しました。若い頃に東南アジアで仕事して、その後に旅人としてその土地を巡り、その土地に対する文化や愛情のようなものが強い人が多いほど、そのエリアの治安が安定することが感覚的にわかっていたから」
街に愛着を持つ人が多いエリアは治安が良く、文化的だと言われるようになる。住民が誇りを持つから、ゴミや落書きなども極端に少なくなる。
「それにはその土地が重ねてきた歴史を知ってもらうことが絶対に必要。小さな神社で行われるお祭りの意味、そこに住んでいた著名人、起こった事件などを掘り起こして、みんなに知ってもらうためのサポートをしようとしたのです」
定年までは、ルーティンワークに追われるあまり、未来に繋がる仕事はほとんどできなかった。
「現状維持で精一杯だった後悔もありました。定年後は、責任も圧倒的に少ないですし、プレッシャーからも解放される。定年の翌日から郷土資料館に出勤。展示やテーマを考えて、イベントなども開催しようとたくさんの案を持ち込みました。異動待ちの職員から“仕事を増やさないでくださいよ”と言われましたけれど、同じことを思っている職員も多く、街歩きや、地域の郷土食の再現、かつて作られていた野菜についての展示など、いろんな企画を行ないました」
再雇用のキャリアは、コロナ禍と重なり、企画していたことの半分もできなかったが、「いい実績を残せた」という。
「目の前の仕事に追われないから、視野が広くなるんです。余裕とゆとりがあるから、アイディアもたくさん出てくる。出世も関係ないから、失敗しても平気ですし、人間関係からも外れるので物おじしなくなる。“これ、仕事増やして迷惑をかけるな”と思うのは、こっちの思い込みであることが多い。発案者が積極的かつ楽しそうに動くと、意外とみんなついてくるんですよ」
【「あなたは、雇えません」と言われ、スキマバイトを始める……次のページに続きます】