ライターI(以下I):『光る君へ』第12回から13回にかけて、藤原道長(演・柄本佑)の妻妾となった源明子(演・瀧内公美)が、道長の父藤原兼家(演・段田安則)を呪詛するために兼家の扇を手に入れる場面が描かれました。この場面について、源明子を演じている瀧内公美さんが制作陣を通じてコメントを寄せてくれました。
源明子は、本音と建て前というのがしっかりとある女性。自分の目標に対する芯がしっかりしている人だなという印象があります。兼家さんが、「父上はご息災ですか」と問うシーンでも、「父は亡くなりました」と答えれば良いものを、「父は大宰府から帰った後、身まかりました」という風に答えるんですね。そうやって事細かく答える、その受け答えが、彼女の芯のある部分だなと思っています。彼女の中には「あなたもどこかで関わっていたはずですよね?」ということを思い出させるような意味合いがあったと思うので、そういった言葉を兼家さんに投げかけることができる明子というのは、強い女性だなと思います。
編集者A(以下A):源明子の父源高明は、醍醐天皇の皇子ですが、源姓を与えられて臣籍降下します。毛並みの良さから左大臣に任ぜられますが、藤原氏の陰謀で大宰府に左遷されるという菅原道真と同じような境遇となります。
I:菅原道真の場合は、京に戻ることなく大宰府で亡くなります。延喜3年(903)のことです。数年後に都が震撼を受ける事件が相次ぎます。
●延喜8年(908)、道真左遷に関与した藤原菅根が落雷で死去
●延喜9年(909)、道真左遷を主導した藤原時平が急死(39歳)
●延喜13年(913)、道真左遷に関与した右大臣源光が鷹狩の際に転落死
●延喜15年(915)、カルデラ湖である十和田湖が大噴火
●延喜23年(923)、道真を左遷した醍醐天皇皇太子の保明親王(母が時平の妹)が21歳で薨去。2年後保明親王の皇子で皇太子となっていた慶頼親王が5歳で薨去。
●延長8年(930)、清涼殿に落雷。道真左遷に関与した大納言藤原清貫に落雷が直撃し即死(右中弁・平希世も死去)。
A:道真左遷にかかわった貴族からこれだけ「変死者」が出たら、怨霊を疑わないわけにはいきません。朝廷が道真の怨霊封じのために、北野社(北野天満宮)などを建立するのも無理ありません。それだけ「道真の怨霊」が恐れられたのでしょう。
I:ということは、道真と同様に左大臣から大宰府に左遷された源高明の「怨霊化」も恐れられたのではないでしょうか。
A:源高明は大宰府から京に戻りますが、不遇のまま亡くなります。亡くなったのは天元5年(983)ですから、道長と源明子の結婚は高明の死後5年目になります。高明の「怨霊化」を防ぐギリギリのタイミングだったといえば大げさでしょうか?
I:娘の源明子を取り込み、明子の兄源俊賢(演・本田大輔)の立身を保証する。確かに高明の怨霊化を防ぐ手だてとも思えます。
A:劇中では、藤原兼家一族が源高明の怨霊化を恐れている場面は登場しません。わずかに詮子(演・吉田羊)がやんわり触れていた程度でしょうか。一方で、源明子は兼家を呪詛しようと試みています。こちらはフィクションだと思いますが、大河ドラマでなかったら「高明の怨霊を恐れる藤原一族」VS.「兼家を呪詛しようとする源明子」がそれぞれお抱えの陰陽師を雇い、平安京を舞台に「祈祷バトル」を展開してもおかしくはありません。
I:そうした歴史的背景を踏まえた上で、源明子役の瀧内公美さんのお話の続きをどうぞ。
やはり兼家さんに会えるまでの年月は非常に長かったと思うんですね。父が失脚した後、道長の姉詮子さんが養女のように育てて下さって、そのおかげでなんとか自分の居場所があったわけですし、その詮子さんの後ろ盾のおかげで道長の妾になれたわけですが、やはりそこに行くまでに、つまり兼家さんに近付いていくまでに、いろんなステップを踏んでいかなければならなかったんですよね。
それでも、呪詛をするという自分の思いに関しては、それだけ強いものがあったので、会えた喜びと、ある種の喜びと、自分の復讐心が増幅していく思い……でも、呪詛するという目的はありますから、演じていて、その本人に対して怒り狂うのではなく、一種の穏やかな気持ちに達観していくというような思いにはなりましたね。だから、なんだか必然と笑みがこぼれるといいますか(笑)。どうしてかはわかりませんが、そういう風に演じた方がいいだろうなと思っていましたし、いろいろと複雑な思いはあるけれど、不思議な感覚にいけたようなシーンではありました。
A:瀧本さんのお話を聞いて、源明子の強い意志が強調されている個所があるので触れたいと思います。劇中で、兼家から「父上はご息災ですか」と問われた源明子は、「父は亡くなりました」と答えずに「父は大宰府から帰った後、身まかりました」という風に答えました。
大河ドラマのオールドファンの方の中には記憶されている方がいるかもしれませんが、1976年の『風と雲と虹と』で似たような場面がありました。上京した平将門(演・加藤剛)が左大臣藤原忠平(演・仲谷昇)から、父の平良将(演・小林桂樹)は息災かと尋ねられます。それに対して将門は、父はすでに亡くなっていると答えます。このやりとりは忠平の家司・大中臣康継(演・村上不二夫)を介して行なわれたのですが、家司の康継は、将門を激しく叱責します。
I:なぜでしょう。
A:父はすでに亡くなっているといえば、忠平が平良将の死を知らなかったことを明らかにしてしまう。それでは忠平に恥をかかせることになるというのです。将門は「どのようにお答えすればよかったのでしょう?」と問いました。それに対して、家司の康継は、「生きておりますれば〇歳になります」と答えるのが正解だというのです。
I:なるほど。そうした受け答えが正解というのなら、源明子の答えは常識を逸脱していて、それだけに意志の強さが強調されている場面だということですね。さすが女王。
A:劇中では「明子女王」と称されていますが、父の源高明が源姓を与えられ臣籍降下していますから、実際には女王ではありません。ただ、醍醐天皇の孫ではありますので、通称的な呼称という設定なのかと思います。
I:社長じゃないけど「社長さん」と呼ぶような感じですね。まあ、何はともあれ物語はさらにスリリングな展開になって目が離せませんね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり