文・写真/福成海央(海外書き人クラブ/オランダ在住ライター)
オランダにあるアムステルダム国立美術館(https://www.rijksmuseum.nl/nl)では今年、史上最大規模のフェルメール展が開催された(会期は2023年2月10日から6月4日まで)。現存する37点のうち世界中から集めた28点が一堂に会し、チケットは早々に完売する人気ぶりであった。
フェルメール作品と言えば「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」が日本でも有名だ。どちらも光を巧みに利用した手法で描かれ、フェルメールは「光の魔術師」とも呼ばれている。例えば真珠に反射する光のきらめき。窓から差し込む陽光と影がもたらす場の静寂さ。綿密に計算され、時に意図的に外された光の表現は、今もなおフェルメール作品ファンを増やす一つの要素である。
また正確な構図や遠近感から、写実性を感じることも特徴だ。これにはカメラ・オブスキュラという装置を、下書きに使用したのではないかと考えられている。カメラ・オブスキュラとは、ピンホールカメラと同じ原理でレンズを用いた装置で、目に見える風景を2次元の平面に写し書きするものだ。いずれにしても、絵画を前にしてまるでそこに自分も存在して同じ場面を見ているような、そんなリアルさもフェルメール作品の魅力である。
ヨハネス・フェルメールは1632年10月にオランダのデルフトで生まれ、43歳で亡くなるまでそこで生涯を過ごした。生家は絹織物や絵画の取引の他、宿屋や飲食店も営んでいた。そこには当時の芸術家たちが出入りをしており、フェルメールの幼少期に影響を与えたのではと考えられている。しかし実際にフェルメールがどこで誰に師事して絵を学んだのかはっきりとはわかっていない。1653年、21歳の時に6年の修業を積み資格を得たとして、芸術家組合に画家として登録を認められた記録が残っているだけだ。
一方、フェルメールと同じ月にデルフトで生まれた、もう一人の光の魔術師がいる。アントーニ・ファン・レーウェンフックだ。レーウェンフックは自作の顕微鏡を用いて、初めて微生物を観察した人物であり、微生物学の父と呼ばれている。本業は織物商人であり、織物の質を鑑定するためのレンズを扱ううちに、レンズを通して見られるミクロの世界に気づいていったのだ。
それまでも微小な生物らしきものの存在は知られていたが、レーウェンフックはそれらが人間と同じように、生と死があり繁殖するということを、細かなスケッチとともに記録を残した。元は商人なので専門教育を受けたわけではない。だが飽くなき探求心を持って様々な細菌の他、精細胞、血球などを詳しく観察し、知人の解剖学者を通じて学術界に紹介した。その結果、細胞を「セル」と名付けたことでも知られるイギリスの科学者、ロバート・フックに認められた。レーウェンフックのオランダ語による観察記録とスケッチは、フックによりラテン語訳され、英国王立協会という権威ある科学界に広まることとなった。
レーウェンフックは500もの顕微鏡を自作したと言われている。当時の一般的な顕微鏡は倍率が30倍程度だったのに対し、レーウェンフックの顕微鏡は80から250倍だった。この差が数々の新発見を生み出した。しかしどのようにして彼だけが高倍率のレンズを作成できたのか。秘密の制作方法があったのではないかというのが長年の謎であったが、2021年の研究発表により単純に驚異的な研磨技術で作られていたことがわかった。直径1mmほどのガラス球を作り、丹念に磨き上げ、微妙な位置調整で焦点を合わせ観察していく。レンズの扱いに慣れていたとはいえ、光の屈折という特性を利用し、肉眼では見られない世界を目に見える形にしていったことは、まさにもう一人の光の魔術師ともいえるだろう。オランダのライデンにある国立ブールハーフェ博物館(https://rijksmuseumboerhaave.nl/)では、11個しか現存していないと言われているレーウェンフック自作の顕微鏡のうち4つを所蔵しており、常設展にて見ることができる。
なお同館では微生物の発見から350年を記念し、彼の業績に迫る企画展「Onvoorstelbaar(英語訳:Unimaginable)」を開催している(会期は2023年4月18日から2024年1月7日まで)。
さて、フェルメールとレーウェンフックという二人の光の魔術師たち。彼等にはいくつもの接点があった。同じデルフト生まれ。同じ年の同じ月に洗礼を受けた記録が残っており、おそらく誕生日も近い。そしてどちらの家も織物取引に携わっていた。また光学や物理的な視点から、芸術・科学それぞれに向き合い、新たな表現や発見を見出していった。
実はフェルメールが生涯残した数少ない作品の中に、レーウェンフックをモデルにしたと言われている作品が2つある。「天文学者」と「地理学者」だ。研究者を描いたこれらの作品は人物像が似ており、レーウェンフックがモデルではないかという説があるのだ。どちらの絵も研究に用いる小道具が詳細に描かれ、研究者の表情やしぐさは、まさに真実を捉えた瞬間を切り取っている。2023年のフェルメール展では、多くの作品が世界中からオランダに里帰りをしたが、2つの研究者の絵画は1つだけが戻ってきた。ドイツのシュテーデル美術館が所蔵している「地理学者」だ。もうひとつ「天文学者」はフランスのルーブル美術館が所蔵している。
だが、これだけ交流を匂わすような接点があるにも関わらず、二人が友人関係であったという確かな証拠は残っていない。唯一の公式な記録は、フェルメールの死後、彼の遺産管財人を務めたのはレーウェンフックだったということだけだ。レーウェンフックはそれまでも公的機関から指名され遺産管財人の業務を行ったことがあり、単なる偶然かもしれない。だが、偶然で済ますには、二人の光の魔術師たちには接点が多すぎる。
新たな歴史的資料が発見されない限り、二人の交友関係は謎のままだろう。だが断片的な事実から、制作過程の彼らの思考や息遣いに思いを馳せることはできる。芸術と科学。異なる分野の巨匠は、互いにどんな会話を交わし、インスピレーションを与え合ったのだろうか。そんなことに想像を巡らせながら見るフェルメール作品も、また格別なものである。
参考ウェブサイト:
アムステルダム国立美術館 フェルメール展 年表 https://www.rijksmuseum.nl/ja/visit/vermeer-exhibition-text
国立ブールハーフェ博物館 レーウェンフックの顕微鏡 https://rijksmuseumboerhaave.nl/online/collectie-centraal/microscoop/
ファン・レーウェンフックの顕微鏡の中性子断層撮影 https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abf2402
文・写真/福成海央(オランダ在住ライター)
2016年よりオランダ在住。元・科学館勤務のミュージアム好きで、オランダ国内を中心にヨーロッパで訪れたミュージアム、体験施設は100か所以上。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。