取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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娘には好きなことをさせたかった
神奈川県相模原市に住む順子さん(仮名・72歳)は、44歳の娘がずっと家にいることに悩み立ち上がった。
「見て見ぬふりをしていたのが噴出したというか、“お尻に火がついた”というか……コロナで、私たち夫婦もいずれ死ぬことを実感して、ずっと抱えていたこの問題に向き合わなくてはと思っても、どうしていいかわからないまま、放置していました」
順子さんにとって、最も大きな問題は、娘のことだ。
「娘といっても44歳。小学校の同級生の中には、おばあちゃんになっている人もいます。娘は気が優しい子で、自分で言うのもなんですが、なかなかの美人なんです。私が元軍人の父から押さえつけられるように育てられたので、娘には好きなことをさせたかった」
娘は幼いころから“幼稚園の先生”になりたかった。3歳の頃からピアノを習っており、都内の中高一貫の女子校から、私立音楽大学に進学する。
「夫も私も全力で応援していました。頭がいい素直な子なので、免許をとって私立の幼稚園に就職したのですが、2か月で辞めてしまったんです」
退職の原因は女性同士のいじめ。それは熾烈だったと言います。
「娘には“いいもの”を身に付けさせたかったので、それほど高級ではないですが、社会人としてきちんと見える、それなりの時計とバッグ、服で通勤させていたのですが、それが嫉妬されたみたいです」
具体的なブランド名を聞いたが、腕時計が60万円、バッグが20万円、服はシャツ1枚3万円のブランドだった。なぜいじめられたか、当時のことを聞き出すと、合皮の靴を履いていた同僚に対して「本革のほうが履き心地がいいよ」と言ったのだという。
それに対して母親の順子さんは、「きちんと育てたから、ホンモノが何かわかり、自分の意見を言えるいい子なんです」と言う。
【園長先生からも無視され、幼稚園を辞めた後に「家事手伝い」になる。次ページに続きます】