取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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北海道札幌市で精神科医の夫とその妻が、一人娘(29歳)と殺人を共謀したとされる事件が連日報道されている。それとともに、「ヘリコプターペアレント」という言葉が話題になっている。これは、子供を助けるために、すぐに介入してくる親のことを指す。子供の上空をヘリコプターのように旋回して見守り、子供が困った事態になると、支援の手を差し伸べるのだ。人間は怠惰だ。困難や試練は避けたい。親がヘリコプターペアレント化すれば、子供は成長の機会を失い自立できなくなる。親も子供から離れられず、自分の人生を子供に奪われてしまう事態にもなるのだ。
幼稚園時代の息子は好奇心で女の子の髪を切る
宣子さん(70歳・無職)は、都心から90分かかる街に所有しているアパート物件の、陽当たりが最も悪い部屋に住んでいる。彼女と18年前に会ったときは、東京都心のマンションの最上階に住んでいた。出会いは、宣子さんが主催する神宮外苑の花火を観るというホームパーティだった。自宅にシェフを呼び寄せ、ソムリエがサーブするという豪華さが記憶に残った。
宣子さんは、資産家の家に一人娘として生まれた。小学生から私立に通い、華麗な人脈があった。当時、52歳の彼女は、若々しく眩しかったが、今は見る影もない。聞くと、息子が全く働かず、母親である宣子さんに寄生して生きているのだという。
「札幌の事件が報道されたとき、古いお友達から“あなたも気を付けてね”と連絡があったの。それで、ちょっと話を聞いてもらいたくて」と語り始めた。
生い立ちを質問すると、宣子さんは南青山で生まれ育ち、祖父母は都内に広大な土地を所有していた。両親はそれを相続し、自宅には芸能人も遊びに来ていた。それが今はほぼなくなり、郊外の古い木造アパート以外何も残っていないという。
「お金がないってつらいわね。全然、人が寄ってこなくなるんだから。コロナ明けに法事をしようと思って、いとこに連絡をしたときに、“ウチにはお金はないの”と言われて切られてしまったことがあったし。あれだけ、私のお父さんが助けてあげたのに……薄情なものよ」
宣子さんには悩みの種がある。それは40歳の無職の息子だ。彼は独身で、今は宣子さんと暮らしている。親しい友人から「あなたはヘリコプターペアレントよ」と言われる背景には何があったのだろうか。
「私は24歳のときに、親からすすめられた主人と結婚し、26歳で長女を産んだの。そのとき、主人から“あ~、女の子か”とがっかりされたのは悲しかったな。主人はお婿さんだったから、男の子を生ませるのが役目だと思っていたんでしょうね。その後はなかなか子供が授からず、30歳のときに待望の男の子が生まれた。主人、親、主人の親も大喜びでね。当時は“男の子を生んで一人目”みたいな文化があったじゃない」
当時、“一姫二太郎”は育てやすいために理想だとされていた。まさにその通りで、上の娘は夜泣きもせず、ほとんど手がかからなかったが、息子は違った。少しでも物音がするとギャーギャー泣き叫び、成長するとこだわりが強く、集団の輪を乱すようなことをした。
「だから、保育園ではしょっちゅう呼び出し。けがをさせてしまった相手のおうちにお詫びに行っていた。今でも覚えているのは、好奇心で女の子の髪の毛を切ってしまったこと。相手の親は“子供がすることなのでいいですよ”と言ってくれましたが、私にも娘がいますし髪は女の命なのだからと、菓子折りを持って謝りに行きました」
そういうことが度重なるうちに、一緒に幼稚園に行くようになったという。園長は「そこまでしなくてもいい」と言ったが、宣子さんはこうと決めたら譲らないところがある。無理が通れば道理が引っ込むではないが、幼稚園の2年間を、息子とともに登園。息子が何か問題を起こしそうになったら、それを制止。また、母親が登園していれば、息子は目立ち、いじめの対象になる。宣子さんは息子をいじめっ子から守ったりもしていたという。
【小学校ではPTAに参加し、常に学校にいた……次のページに続きます】