人生百年時代と言われ始めてから久しい。皆さんは、人生百年時代について、どのように考えておられるのでしょうか?

聞き慣れなかった頃は、その言葉自体に疑問や違和感、抵抗感を感じていたものですが、日常的に頻繁に見聞きしておりますと洗脳されてしまったのでしょうか。まるで、行政機関から100歳まで生きられる「長寿切符」をもらったかのような感覚になってしまいました。

しかしながら、さすがに100歳まで健康で生きられる保障まではされていないので、日々、身体の鍛錬に努め食事にも気を配っております。

同じように考える人が増えているのか、テレビやインターネットからは、健康維持に効果が期待できそうな商品広告紹介が洪水のように流れてきます。効果があるか否かはさておき、そうした商品に頼る前に健康寿命を伸ばすために最も大切なのは「克己心(こっきしん)」ではないでしょうか。

自分の欲望と周囲からの誘惑に打ち勝ちたいと思う時、今回の小早川隆景の言葉「自分の心に優しいことは毒と思え。自分の心に厳しいことは薬と思え。」は、役立つかもしれません。

小早川隆景の人生

小早川隆景は、毛利元就 (もうりもとなり) の三男で、安土・桃山時代の武将です。元就の次男で吉川(きっかわ)家を嗣(つ)いだ元春(もとはる)とともに、毛利宗家(父の元就、兄の隆元、甥の輝元)を助けて、中国および四国・九州の一部を経略し、「毛利両川(りょうせん)」と呼ばれました。

江戸時代に作られた話だと言われていますが、毛利家にまつわる有名な逸話「三矢の訓(みつやのおしえ)」のうち、一本は隆景のことを指しています。

小早川隆景は、天文13年(1544)に竹原小早川家の養子となり家を嗣ぎ、永禄10年(1567)には三原城(広島県三原市)を築いています。

三原城跡

天正10年(1582)、秀吉が高松城を攻撃中、本能寺の変で織田信長が討たれます。元春は「信長死去」の報せを知り、秀吉追撃を主張しましたが、秀吉に勢いがあることを察した隆景は、それを制したとか。そればかりか、秀吉に毛利の軍旗を貸し、秀吉の光秀討伐に助力したのです。この時の功により、隆景は秀吉の信を得たと言います。

賤ヶ岳の戦い以降、隆景は秀吉の天下統一に積極的に協力をします。天正13年(1585)には長宗我部氏を討った功により、豊臣秀吉から伊予35万石を。その後は島津氏を討伐して筑前1国、筑後1国、肥前1郡を与えられ、筑前名嶋城へ移ります。1591年、太閤検地により旧領安芸・備後、筑前1国、筑後・肥前各2郡を改めて与えられています。

こうした働きを見て、秀吉は隆景を直属の独立大名にしようとしましたが、隆景は「あくまで毛利家の家臣である」という立場を貫いたそうです。自分自身を厳しく律することのできる人物でした。

ルイス・フロイスは『日本史』にて隆景を「統治者として非常に優れた人物」であると評しています。隆景が亡くなった時、黒田官兵衛は「これで日本に賢人はいなくなった」と嘆いたそうです。

こうした他者の言葉からも、隆景の人となりが伝わってくるようです。

肖像画/もぱ
文・構成・アニメーション・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com Facebook

 

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