取材・文/ふじのあやこ
厚生労働省が発表した「令和3年(2021)人口動態統計月報年計(概数)」では、2021年度の婚姻件数は 50万1116組、離婚件数は18万4386組。婚姻件数、離婚件数ともに前年よりも減少しているものの、今もどこかで夫婦が誕生して、夫婦が他人になっている。日本の非婚化がメディアなどで多く取り上げられているが、今回は離婚を経験後に再び家族を求める人たちに、その理由を伺っていく。
「私は、結婚というか、誰かとずっと一緒にいることに向いていないのかもしれません」と語るのは、千香さん(仮名・36歳)。20代で離婚し、32歳で再婚。千香さんはハキハキと感情豊かに話し、「自分の気持ちには正直」と自己分析する。このタイプはモテる人が多い。
様々な意味で父の存在が家族の中心だった
千香さんは兵庫県の郊外出身で、両親と6歳と3歳上に兄のいる5人家族。父親は厳しかったが、一番上の兄は千香さんにとても優しかった。怒られるときには父親から手を出されることもあったが、それを耐えられたのも兄の存在が大きかったという。
「母親も優しかったんですけど、父親の前では言いなりに近い状態で、私を庇ってくれることはありませんでした。父は毎日手をあげるとか、酒癖が悪くてその度にというわけではなく、私があまりに言うことを聞かなかったときだけ、頬を叩きました。今ならある程度は納得できるんですけど、当時は自分よりも大きな男の人に手を出されるのは恐怖で支配されているようなもの。その暴力を一番上の兄は何度も庇ってくれました。
兄が中学生になった頃には父親とそこまでの体力差がなくなって完全に暴力を止めることができるようになり、そこから父は私に手をあげなくなりました。息子に負けたくないという父親としての威厳を守りたかったんじゃないですかね」
そんな父親は千香さんが高校生になった頃から病気がちになり、すっかり気も弱くなってしまったのか、物静かな人に。別人のように千香さんのやりたいことを応援してくれるようになったと振り返る。
「私はずっと地元にいないといけないって思っていたんです。兄たちがケンカ状態で家を出たところを見ていたので父が許してくれないだろうと。でも、体を悪くした頃から父と兄たちとの折り合いも普通に戻って、一番上の兄は父の体調を気遣って地元に戻ってきました。そして、私は大阪の大学に行きたいと伝えたら、父は応援してくれたんです。……そのときにはもう長くないとわかっていたと思います。
父は、私が大学2年のときに亡くなりました」
【我慢の緒が切れた夫と、一切我慢できなかった妻の末路。次ページに続きます】