文/印南敦史
本を書き上げて数週間たつと、出版社から分厚い封筒が届く。入っているのは「ゲラ」と呼ばれる校正刷りで、つまりは“本になった状態”を確認するための印刷物だ。
校正は一般的に「初校(一回目の校正)」「再校(二回目の校正)」、場合によっては「念校(三回目の校正)」と続くのだが、なかでもいちばん重要なのが初校である。
初校ゲラを目にしたときには、家の骨組みを見せてもらえたような気がして心が躍る。次いで校正紙に鉛筆書きの文字が入っていることを確認すると、さらにうれしくなってくる。それを書いてくださったのは、私のような人間が「校正さん」と呼んでいる校正者だ。
いうまでもなく、校正さんの役割は、誤字や脱字、事実関係の確認など。たとえば文章のなかに事実と異なる箇所があった場合、“事実”を証明する資料とともに「〜にしますか?」というような提案が書き込まれるのだ。
なにしろ間違いを指摘されるのだから、それを喜ばない著者もいると聞いたことがある。が、私はゲラに鉛筆で小さな文字が書き込まれているとうれしく感じるのだ。校正さんが、原稿をきちんとチェックしてくださっているんだなと思えるからである。大げさな表現かもしれないが、一緒にひとつの作品をつくっているというような感覚があって心地よい。
『文にあたる』(牟田都子 著、亜紀書房)を興味深く読み進めることができたのは、日ごろからゲラが届くたびにそんなことを感じていたからだ。著者は、書籍や雑誌の校正を行っている人物。図書館員を経て出版社の校閲部で実績を積み、現在はフリーランスとしてこの仕事に携わっているという。
一個たりとも誤植を残すまいと思いながらゲラを読んではいますが、どんなに必死に仕事をしても、できあがった本に何か残っているのではないかという不安が消えることはありません。こんないいかたは誤解を招くかもしれませんが、残っているはずだといいたいくらいです。会社ではこの道何十年というベテランがよってたかってゲラを読んでいるのに、それでも誤植が残ってしまうことはある。だから自分の校正した本にひとつも誤植は残っていませんとは、わたしにはいえない。そういえるよう努力すべきなのだと理解はしていますが、どうしてもいえないのです。(本書91ページより)
なにを大げさなと笑われるかもしれないが、この文章を読んだとき、ぐっと胸に込み上げてくるものがあった。共感できるところがあまりにも多く、しかも著者が校正にかける誠実さが手にとるようにわかったからだ。
おっしゃるとおりで、複数人の厳密なチェックを通過してもなお、誤植が残ってしまう可能性は否定できない。あとからとんでもない誤植に気づき、顔から火が出るような思いをした経験は、書く側の立場にいる私にも当然ある。そんなときに思い出すのは、広告の仕事をしていたころに上司から何度もいわれていたことだ。
「コピー(広告原稿)のチェックに終わりはないから。何人が何度確認したとしても、間違いは見つかるものなんだよ。残念ながらね」
それは、そののち足を踏み入れた出版の世界にもあてはまることだった。かつてその上司がいったように、そして本書の著者もいうように、「間違いは見つかるもの」なのだ。
手を抜いているということでは決してない。それどころか細心の注意を払って何度確認したとしても、誤植などのミスは生まれてしまうものなのである。
では、なぜミスが生まれるのか? この問いに対する答えは「人間だから」ということに尽きると私は思っている。どれだけ誠実であろうという思いを胸に尽力したとしても、そもそも人間はミスをする生き物なのだ。そういう意味では、校正さんの仕事は人間の本質を映し出しているともいえるように思う。
いいかえれば、人間が不完全であるからこそ、校正さんの仕事が重要な意味を持つのである。間違いが「見つかってしまうもの」であったとしても、いや、だからこそ、少しでも間違いを減らそうという意識を持ちながら仕事に臨むプロフェッショナルとしての彼らの仕事は絶対的に必要なのだ。
校正は「防災」だというたとえがあります。防災グッズを用意し訓練をして、実際には役立つことのないまま月日が過ぎていくのならそれに越したことはありません。災害が起こってから慌てても遅いように、ひとたび印刷され製本されて本という形になり、世に出てしまった言葉は取り返しがつきません。あとから書き直したり訂正したりはできないから、あらかじめ備えておきたい。(本書99ページより)
厳密にいえば、「あとから書き直したり訂正したり」することは不可能ではない。本書のなかでも触れられているように、重版がかかったとき(増刷されたとき)に訂正するという方法があるからだ。ただし、その対象となるのは売れている本だけであり、現実的には重版がかからないまま終わる本は少なくない。
したがってそういう場合には、その本が絶版にならない限り、間違いが間違いのまま残り続けることになる。だからこそ「防災」は大切なのだ。しかも重要なのは、そこに防災以上の意味があるということである。
これまで個人で百冊以上の本に携わってきましたが、わたしにとっては百冊のうちの一冊でも、読者にとっては人生で唯一の一冊になるということはあり得るのです。(本書101ページより)
一冊の本の背後には、校正さんのこうした思いがあることも、ぜひ心にとどめておいてほしいと私も思う。そして「自分には関係のない世界の話だから」などと突き放すことなく、きれいなことばで綴られた本書をぜひ手にとっていただきたい。
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。