1872年(明治5)10月14日(旧暦9月12日)、新橋と横浜間が初めて鉄道で結ばれた。2022年(令和4)は、わが国に鉄道が開業してから150年を迎える。
特急や急行などの優等列車に付けられた愛称と、先頭や最後尾を飾るトレインマークに、旅情をかきたてられる読者も多いことだろう。愛称やトレインマークは時代や世相を反映し、鉄道が社会と密接に結びつきながら発展してきた。
鉄道とトレインマークの歴史に詳しい佐藤美知男さんに、解説をお願いした。まず、列車の愛称とトレインマークとはどのようなものなのか。
「明治時代の初期に、機関車自体に『義経』『弁慶』などの名前を付けられたことはありましたが、列車の編成に愛称が付いたのは、1906年(明治39)の南海鉄道(現・南海電気鉄道)の『浪速号』『和歌号』が最初です」。
佐藤さんは続ける。
「その後、列車に愛称が登場するのは昭和に入ってからのことです。当時の鉄道省は、東京~下関間に2本の特急を走らせていましたが、昭和初期に始まった不況により、利用客の減少に悩んでいました。そこで、利用誘致を図るべく列車の愛称を一般公募したのです」
「ヘッドマーク」は戦後から
その結果、1位「富士」、2位「燕」、3位「櫻」という愛称が決定した。まず、1929年(昭和4)に「富士」と「櫻」の名で運転を開始。
富士山と桜の花の意匠が、わが国のトレインマークの端緒となった。翌1930年には「燕」が東京~大阪間を、当時最速の8時間20分で結んだ。
「特急の愛称とともに生まれたのが、さまざまな意匠を施したトレインマークです。戦前は列車の最後尾に付けられていたので、正確にはテールマークですね。機関車の先頭にヘッドマークが付けられるようになったのは戦後のことなので、総称としてトレインマークと呼んでいます」(佐藤さん)
優等列車の増発とともにトレインマークも賑やかに
戦後は国の復興とともに鉄道が復活し、戦中に途絶えた特急列車も次々と運転を再開する。
「1949年(昭和24)に日本国有鉄道が発足。特急『へいわ』が登場し、戦後のトレインマーク復活のスタートになりました。1950年には『つばめ』を牽引する蒸気機関車の先頭部に、円形のマークが付けられました。これがヘッドマークの始まりです」
その後、寝台列車のブルートレインの登場などで優等列車が増え、様々なヘッドマークを付けた列車が全国を駆けめぐることになる。
進化するトレインマーク
昭和初期から現代までのトレインマークの変遷を、佐藤さんはこう語る。
「当初の鉄板製から、内部に照明を入れた行灯式が1930年(昭和5)、『燕』に採用されます。戦後の高度成長期になると、特急『こだま』などにアクリル製の内照式が使われ、その後、ロール式などに進化。近年は、LEDや液晶表示を採用したり、車体に記されることが多くなりました。昔ながらの円形のトレインマークは、観光列車などに残っています」
解説 佐藤美知男さん(鉄道史資料調査センター研究員・73歳)
【『サライ』2月号特別付録】鉄道開業150周年「名列車トレインマークトートバッグ」
今年は日本の鉄道が開業して150年。特急列車などの愛称を象ったトレインマークは、いつの時代も羨望の的でした。名列車の先頭で燦然と輝いていたマークから、人々の記憶に残る図柄を選んでトートバッグにあしらいました。
撮影/植野製作所 スタイリスト/有馬ヨシノ 図版/日本海ファクトリー 文/中村雅和
※この記事は『サライ』本誌2022年2月号より転載しました。