取材・文/ふじのあやこ
家族の中には、血縁のない『義(理の)家族』という間柄がある。結婚相手の親族関係を指すことが一般的だが、離婚件数が増える現在では、親の再婚相手や、再婚相手の連れ子など、家族の関係は複雑化している。血のつながりがないからこそ生じる問題、そして新たに生まれるものも存在する。義家族との関係を実際に持つようになった当事者にインタビューして、そのときに感じた率直な思いを語ってもらう。
今回お話を伺った香織さん(仮名・39歳)は36歳のときに12年付き合っていた男性と結婚して、現在は旦那さまと二人暮らしをしています。結婚は自分たちの意思ではなく、義両親の意思が強く働いたものだったとのこと。
「法律婚のメリットが1つも感じられなくて。2人で話し合って結婚しないと決めたことを、自分たちの意思を貫けばよかったと今は後悔しかありません」
子どもの頃に結婚の辛い部分ばかりを見てきた
香織さんは大阪府出身で、両親との3人家族。小さい頃に鮮明に覚えているのはケンカをしている両親の姿で、両親は仲の良い時期とケンカの時期を何度も繰り返していたとか。
「深夜に響きわたる両親の言い合う声、そしてその言い合いが長く続くと、バチンとかガンとかいう何かがぶつかった音がして、その後は鼻声になった母親の声が聞こえました。小学生の低学年くらいだった気がします。母親のことを助けに行かなければと思うけど、父親の怒声が怖すぎて布団の中で声を殺して泣くことしかできませんでした。
その頃の父親は月に何日か帰って来ない日があって、私はその父がいない時間が好きでした。帰って来てしばらくの間は父親の機嫌は良くて、3人で仲良くできる時期もありました。でも、また怒声と泣き声になる。その繰り返しでしたね」
父親は香織さんに手をあげることはなく、優しかったそう。しかし、母親や祖母に対する態度からあまり好きではなかったと言います。
「父は常に手をあげる人ではなく、母親とのケンカの末にカッとなったらといった感じで、私には基本的に優しかったです。でもそれは、私との距離が遠くてお互いが気を使い合っていたからだと思います。父に何かをお願いした記憶も2人で遊んだ記憶も残っていません。
父は祖父母にも優しかったのですが、基本的に男尊女卑の考え方が植え付けられている感じがしました。祖父母の家では祖父と父は一度座るとまったく動かずに、動き続ける祖母の手伝いを母がしているという構図でした。そして中学になった頃には私も手伝いを自然とするようになっていき。それに親族の中で伯父などのお酒の相手も私の役割でした。もちろんお酒は飲めないのでシラフで酔っ払いの話し相手をずっと聞き続けるのです。その姿を父親は『いい娘でしょう』と親戚に自慢します。父方の親族の中で女の孫は私1人だったので、集まるといつもそんな役回りでした」
【漠然と結婚したかった夫と結婚願望がない私。次ページに続きます】