「日本植物学の父」と称される植物学者・牧野富太郎
牧野富太郎(1862~1957)は「日本植物学の父」と称される植物学者である。22歳で高知から上京し、独学で植物の研究をしながら東京帝国大学(現・東京大学)理学部植物学教室へ出入りするようになる。その後、大学で長年教鞭をとり、数多くの新種を発見し命名した。独自の研究結果をまとめた『牧野日本植物図鑑』(昭和15年刊行)など、世に広く知られる著作も多い。
牧野は31歳でようやく東京帝国大学の助手になることができたが、文献の購入など研究費用が家計を圧迫し、生活はつねに困窮。引越しを18回もしている。その牧野を支えたのが寿衛子夫人であり、後年、牧野は自身が発見した新種の笹に、先だった妻への感謝を込めて「スエコザサ」と命名している。
好物のトマトを、毎日のように食べていた
常に借金取りに追い回されて汲々(きゅうきゅう)としていた牧野だったが、身体はきわめて健康であった。彼は自分の生涯について、「朝な夕なに草木を友にすれば、さびしいひまがない」と語っている。年中、植物採集などで森林を歩きまわっていたので、自然と体力が増進されていたのだろう。好物はトマトで、毎日のように食べていた。
トマトには強い抗酸化作用と血流改善の効果が期待できるリコピンが豊富に含まれている。さらに、ビタミンは、A、B1、B2、Cが含まれており、特にビタミンCはトマト1個で1日に必要とされる量の約半分が摂れるなど、トマトは動脈硬化はじめとする様々な生活習慣病の予防・改善に効果が高い野菜として知られる。ちなみに、カゴメ株式会社がラットを使った試験結果から、朝・昼・夜のうち、朝にトマトを摂った場合にリコピンが最も効率的に吸収されることがわかっている。
牧野は87歳で大腸カタルを患うが、医者が臨終を宣告したのちに生き返るという驚異的な生命力を発揮。94歳で風邪をこじらせて亡くなったが、解剖の結果、血管の動脈硬化などはほとんどなかったという。
文/内田和浩