取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内で暮らしている久美子さん(仮名・41歳)。埼玉県出身で、母親との2人家族。別々に暮らしていたものの、学生時代には父親は定期的に家に訪れていたとか。
「小さい頃は籍は入れていないものの両親の仲は良く、2人は私の前でも平気でイチャついていました。私は父には気を使いつつも良好な関係を築けていたと思います。家族がより複雑になったのは母親が父を避けだしてから。私は援助を受けている恩もあって、どうしても父を邪険にできませんでした。その行動が、母親には“女を出して父親に媚びている”ように映ったみたいです」
大学で家を出るときには「お母さんを一人にするのか」と責められた
父親は、母親と不仲で家に来なくなっても変わらず援助を続けてくれていたそう。関西の大学を受験すると伝えたときも快く受け入れてくれたと言います。
「関東の大学を選んでしまっては家から出ることはできない。でも家を出るということは、実家から大学に通うよりも負担をかけてしまう。母親には、三者面談もあったので大学受験をすることは話していましたが、担任の先生にお願いして関西の大学を受験することは伏せてもらっていました。担任の先生には複雑な家庭事情をある程度は話せていたので。母親も大学受験に関しては『父に媚びて』とは言われ続けたものの、受験を完全に反対することはありませんでした。もしかしたらどこかで援助している父に引け目を感じていたのかもしれません。
父に、母親から離れたい思いを隠しつつ関西の大学に行きたいことを伝えたときには『心配しなくていい』と言ってくれて。お金のことだけなのか、母親のことも含めてなのかはわかりませんが、ホッとしたことを覚えています」
関西の大学に無事合格。その事実を知ったときには、母親は酷く取り乱したと言いますが、次の日には人が変わったように仲良くしてきたとか。別々に暮らしてからも毎日のように連絡があったそう。
「私は否定されないように『関西の大学に受かったから関西に行きます』という事実だけを伝えました。そしたら、勝手に決めたことと『お母さんを一人にするのか』と怒りました。大声で叫ぶように泣かれましたね……。それなのに一晩寝た後には応援すると言ってきて、別人のようでした。必死で止められたら縁を切るぐらいの覚悟だったので良かったんですが、離れて暮らすようになってからは、妙に仲良くしてきたことに違和感がありましたね」
【母のように誰かに依存してしまうのが今も怖い。次ページに続きます】