東京オリンピック開会式、ご覧になりましたか? 上原ひろみが歌舞伎に合わせてガンガン弾いてましたね。現在、オリンピックや大きなスポーツ大会の式典に、音楽は不可欠です。今回の東京大会には「公式テーマソング」はありませんが、2012年のロンドン大会ではミューズの『サヴァイヴァル』、2016年リオデジャネイロ大会ではチアニーギョとプロジョタが歌う『アルマ・エ・コラソン』が公式テーマソングとして使われていました。「スポーツ・イヴェント+音楽」は現在では当たり前になりましたが、これらが広まったきっかけは、1984年のロサンゼルス・オリンピック(夏季)でした。それ以前にも音楽が効果的に使われていたスポーツ・イヴェントはありましたが、ロスでは「公式」テーマソングとしてフィーチャーすることで、より強くその存在をアピールしたのでした。
このロサンゼルス大会は、さまざまな部分で大規模スポーツ・イヴェントの画期的な転換点となりました。税金を一切使わず、資金の多くをスポンサー企業から調達するなどの「商業イベント化」がそのもっとも大きな特徴です。その詳細・功罪についてここでは触れませんが、音楽の積極的な利用もその一環だったのでしょう。人気アーティストによる競技別公式テーマソングが多数作られ、それらは『L.A.オリンピック公式アルバム』(CBS)にまとめられ、大会開催前にリリースされました(国内盤は開会1週間前リリース。ライナーには開催スケジュール表付き)。
大会のスポンサー企業は、同一業種は1社のみということで、コカコーラとペプシコーラが熾烈な争いをしたと伝えられていますが、レコードは会社同士では争わず、アーティストの所属レーベルの壁を超えたオムニバス・アルバムとなっています。この手のアルバムは、時期が過ぎるとすぐ廃盤になり、顧みられることなく忘れられてしまいがちですが、この『L.A.オリンピック公式アルバム』は、じつはジャズ・ファンとしては聴きどころがいくつもあるアルバムなのです。
オリジナル・タイトルは、『The Official Music Of The XXIIIrd Olympiad Los Angeles 1984)』(CBS)。ジャズ・ミュージシャンによる楽曲は、3曲収録されています。陸上フィールド競技のテーマとして、ハービー・ハンコック『ジュンクー』(『Junku』。このレコードでの表記は「ジャンク」)。バスケットボールのボブ・ジェイムス『コートシップ』。そして体操のクインシー・ジョーンズ『グレース』(作曲はジェレミー・ラボックとの共作)。
ちなみにほかの競技別テーマソングは、ジョルジオ・モローダー:『リーチ・アウト』(陸上トラック)、クリストファー・クロス:『チャンス・フォー・ヘヴン』(水泳)、TOTO:『ムーディド』(ボクシング)、フォーリナー:『ストリート・サンダー』(マラソン)、ビル・コンティ(『ロッキー』『007』の映画音楽家):『パワー』(パワー・スポーツ)など。そして、式典テーマの『オリンピック・ファンファーレ』はジョン・ウィリアムス、聖火式典テーマ(『オリンピアン』)はフィリップ・グラスという、さすがはポピュラー音楽大国アメリカのオリンピックにふさわしい超豪華な顔ぶれ。
このアルバムはすぐに廃盤になってしまいましたが、一部の音源は別のアルバムで聴くことができます(このアルバムで聴くと、同じジャズとくくられながら、ヒップホップ+ジャズのハンコックと、スムース・ジャズのジェイムスが、同じ年にまったく違う音楽を作っていたという時代の雰囲気が味わえてなかなかいいのですが、それはさておき)。ハービー・ハンコックの『ジュンクー』は『サウンド・システム』(コロンビア)で、ボブ・ジェイムスの『コートシップ』は『12』(タッパンジー/コロンビア)という、それぞれオリンピックと同年にリリースされたアルバムに収録されています。
そしてもう1曲のクインシー・ジョーンズ『グレース』は、残念ながらここでしか聴けません。当時クインシーは、マイケル・ジャクソンのプロデュースなどが多忙で自身のアルバムを出していなかったため、受け皿がなかったのかもしれません。逆にいえば、公式テーマソングは自身の名義で発表する数少ない機会だったと見ることもできます。1曲入魂だったのかはわかりませんが、これは名曲なんです。
当人もそう思っていたのでしょうか、クインシーはこの『グレース』をなんと2回もリメイクして発表していたのでした。最初は、オリンピックから10年を経た1995年リリースの『Qズ・ジューク・ジョイント』(クエスト)に収録。タイトルを『アット・ジ・エンド・オブ・ザ・デイに変えて、バリー・ホワイトの語りとトゥーツ・シールマンスのハーモニカをフィーチャーしています。さらに5年後の2000年には、『ベイシー&ビヨンド』(クエスト)で、なんとビッグバンド曲にアレンジ。クインシーにとって『グレース』は、「企画もの用瞬間ヒット狙い曲」にしておきたくない名曲だったのです。
冒頭のスポーツからどんどん話が離れましたが、名曲は意外なところに隠れている(かもしれない)、というのが今回のテーマでした。ちなみに、このアルバムは現在廃盤ですが、当時このアルバムのCD版がリリースされたのは日本だけ(CD黎明期)で流通数が少なかったためか、中古CDはけっこう高額で取引されているようです(一方、中古LPは安価です)。お宝も意外なところにあるんですね。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。