文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)
世界の多くの国の水道水が飲料に適さない中、オーストリアの首都ウィーンでは、蛇口をひねると、アルプスの源泉から湧き出る美味しい水を、いつでも味わうことができます。
「アルプスの小国」のイメージの強いオーストリアですが、首都ウィーン周辺の地形は平地と森です。中世の頃から、市民が井戸水由来の伝染病に苦しめられていた一方、皇帝や貴族たちは遠くから安全な水を運ばせていました。
貧富の差が水質の差に表れていた時代から、市民が「皇帝の泉」を手にするまでの、壮大な水道工事をご紹介します。
ウィーンの水道の歴史
オーストリアがローマ帝国の属州であった5世紀までは、ウィーンにも優れた土木技術のたまものである、ローマ水道や上水道がありました。ウィーンの森から17kmにわたって引かれた清潔な水は、飲料水だけでなく、風呂にも使われていたほどです。
しかし、中世以降、ローマ水道は忘れ去られ、飲料水は井戸水となります。下水道が整備されていなかったため汚染された井戸水は、ペスト、コレラ、チフスなどの病気の原因となり、たびたび伝染病が多くの市民の命を奪いました。
そんな中、皇帝カール6世(マリア・テレジアの父)は、1732年、ウィーンの南に広がるアルプスでの狩りの途中に、美味しい泉を発見しました。「皇帝の泉」(Kaiserbrunnen)と名付けたこの泉の水は、樽に詰められ、馬の背で60時間かけてウィーンに運ばれ、皇帝の食卓に上がるようになりました。また、貴族たちもウィーン郊外からの水を自邸に引き込み、危険な井戸水を避けて暮らしていました。
そんな中、「女帝」マリア・テレジアの愛娘マリア・クリスティーナが、腹痛が原因で病死するという悲劇が起きます。その夫アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェンは、愛妻の死を悼み、1805年に私財を投じて、ウィーン郊外から市内へと水道を引きました。これがウィーンで初めての、公共の水道と言われています。
更に1843年には、別のウィーン郊外の水源からの水道が引かれますが、皮肉なことに、どちらもウィーンから近すぎたため、水質は非常に悪く、逆にコレラやチフスが急増し、たった30年で使用が中止されてしまいました。
「皇帝の泉」プロジェクト
今までの失敗を繰り返すまいと、1850年ごろから新しい水源の探索が始まり、1861年には都市計画としてまとめられました。水源探しは難航し、探索はどんどんウィーンを離れ、高度を上げていきます。そして白羽の矢が立ったのが、先ほどのカール6世が発見した「皇帝の泉」だったのです。
この水源は、水質と水量が適していただけでなく、ウィーンまで一度もポンプで高さを調節することなく、16時間かけてトンネル状の水路に水を流すことが可能で、工事費用を節減することができるという、大きなメリットもありました。
しかしこれは、ハプスブルク家所有の水源です。都市計画の担当者は、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフに謁見を願い、直々にこの「皇帝の泉」をウィーン市民のために使わせてくれるよう頼みこみました。これを聞き入れた皇帝は、正式にこの泉を「ウィーン市に贈る」ことを決定し、水道建設計画が始動します。
ウィーンの南のアルプスの山奥から、約95kmの水路を通って水を届ける大プロジェクト。数えきれないほどのトンネルと、30の水道橋を含む大工事は、1873年のウィーン万博に間に合わせるため、たった4年で完了されなければなりませんでした。
建設工事を請け負ったのは、アントニオ・ガブリエッリの建設会社でしたが、その道は平たんなものではありませんでした。初期のトンネル工事が大幅に遅れた一方、ウィーンでの水不足の影響で完成が急がれ、労働者が大量に不足します。イタリアからの工事夫の投入も失敗し、最終的には、給料大幅増額などの労働者へのインセンティブをつけ、軍隊の力を借りて、なんとか万博期間中に完成にこぎつけました。
この開通記念式典が行われたのは、ガブリエッリ自身が私財を投じて完成させた、ウィーンのシュヴァルツェンベルク広場の噴水です。皇帝フランツ・ヨーゼフ自らが開通を宣言し、ウィーン市民の蛇口に「皇帝の泉」の水が届けられた、記念すべき日となりました。
この後も工事は続き、さらに上流の水源へつながったほか、別ルートでの第二水道も作られ、現在のウィーンを潤しています。
「皇帝の泉」の水道博物館
ウィーン南方のアルプスの山々に囲まれた「皇帝の泉」の水源は、現在博物館として訪れることができます。
厳重に管理されている現役の源泉は、「水の城」と呼ばれ、ガイドツアーでのみ見学が可能です。内部は、19世紀後半の地下宮殿を思わせる建築に、緑色に光る神秘的水がたたえられています。
そのそばには、二つの資料館と、屋外展示があります。実物大の水路を歩いてみることもできますが、小学生がやっとかがまず歩けるくらいの高さです。
ここで飲むことができる源泉の水は、たった16時間後には、ウィーンの蛇口から出る水のはずなのに、不思議と何倍も美味しく感じられました。
近くに流れるシュヴァルツァ川の散歩道にも、源泉が汲める場所があり、地元の人たちが水を取りによく訪れます。川のせせらぎと山の深さを肌で感じていると、皇帝が発見し、独り占めしてきたこの泉が、現在はウィーンで毎日飲めることに、先人への感謝の気持ちがわいてきます。
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ウィーンの蛇口から出てくる美味しい水は、数々の失敗を踏み台に、最高の水源を特定し、長大な水道を作り上げた、皇帝や官僚、技師や労働者の壮大なプロジェクトのたまものです。
280年前に発見されたアルプスの「皇帝の泉」は、145年前の水路を通り、現在もウィーン市民の安全と健康の源流として、 愛され続けています 。
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。