いま京都では、第51回「京の冬の旅」キャンペーンが実施されている。今回のテーマは「大政奉還150年記念」。江戸時代末期の慶応3年(1867)、徳川15代将軍慶喜は政権を朝廷に返上。ここに日本の近代化が始まった。
それを記念して、幕末ゆかりの寺院を中心に14か所で、日頃は非公開の文化財が特別公開される。そのなかで、今回紹介するのは、幕末に会津藩士たちが拠り所にした、浄土宗の名刹「金戒光明寺」である。
明治維新を6年後に控えた文久2年(1862)、会津藩主松平容保(かたもり)は1000名の家臣を引き連れ金戒光明寺に入った。徳川幕府から任命された京都守護職の重責を遂行するためである。
当時の金戒光明寺は境内約4万坪、御影堂(みえいどう)(大殿)や大方丈の主要伽藍のほかに大小52の宿坊が建ち並んでいた。東山の麓、黒谷という小高い一帯にあり、境内からは眼下に京都市街を見下ろすことができた。いまも地元では「黒谷さん」という愛称で親しまれている。
大軍が一気に侵入できないように南には小さな門を構え、市街に面した西側には堅牢な高麗門を配し、寺院全体が城郭建築の様相を呈していた。まさに守護職が陣を構えるのに最もふさわしい大寺院であった。
寺では大方丈と宿坊25か寺を提供し、容保一行を迎えた。その大方丈が特別公開される。現存の大方丈は昭和19年(1944)の再建だが、新選組隊長の近藤勇が容保に拝謁した「謁見の間」が再現されており、幕末の歴史的舞台を身近に感じることができる。
「虎の間」の襖を飾るのは、日本画家・久保田金僊(くぼたきんせん)による虎の絵。正面に見えるのは4匹の虎だが、顔が描かれているのは3匹だけ。しかも襖を動かすと2匹に早変わりする。そのからくりを知るには現地に足を運ぶしかない。
金戒光明寺は、承安5年(1175)に浄土宗の開祖・法然上人が営んだ庵に始まる。御影堂の東に建つ大方丈の庭は「紫雲の庭」という。平成18年(2006)の作庭だが、古典的技法を駆使した回遊式庭園。白川砂と杉苔のコントラストが印象的だ。各所に組まれた大小の石は法然上人の生涯を表現しているという。庭に降りることができるので、石の姿を楽しみながらゆっくり回遊したい。
今回の特別公開では、松平容保の書や会津藩士の兜なども展示される。境内奥には、「会津藩殉難者墓地」がある。明治維新の年までに亡くなった237人や鳥羽伏見の戦いの戦死者115人などの霊が祀られている。この墓にも足を運び、激動の時代を生きた武人たちのさまざまな思いを感じたい。
【金戒光明寺】
■住所:京都市左京区黒谷町121
■公開日:2017年1月7日(土)~3月18日(土)
■時間:10時~16時(受付終了)1月11日(水)は12時から公開
■料金:大人600円(個人は予約不要)
■問合せ先:京都市観光協会 電話075・213・1717
※ 第51回 京の冬の旅キャンペーン公式サイト
https://kyokanko.or.jp/huyu2016/
取材・文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。