文・写真/冨久岡ナヲ(海外書き人クラブ/英国在住ライター)

SL五機を始めたくさんの古い車両を動態保存しているエッピング・オンガー鉄道。

東西74kmにわたってロンドンの真ん中を横断する地下鉄線、セントラルライン。西ロンドン郊外から高級住宅地エリア、都心の商業地を通り東ロンドンの下町へ進み、最後は隣接したエセックス州へと到達する。

この東端の終点駅エッピング(Epping)近くに保存鉄道が走っていることは知っていた。だが、SLファン、乗り鉄を自称するくせに、今までどうも食指が動かなかった。

理由は自分でもよくわからないが、保存鉄道といえば「遠い田舎へ出向き、緑の中をのんびり走るSLに癒される」イメージがあったのかもしれない。地下鉄一本で到達できるなんて旅気分に欠けるではないか。それに、買い物のついでにでも行かれる保存鉄道なんてちっとも癒される気がしない。

ある週末、こうした思い込みを捨てついに訪れてみたエッピング・オンガー鉄道。1994年までセントラルライン東の終点だったオンガー(Ongar)駅から、エッピング手前までの3駅を結びSLや往年の地下鉄車両が走っている。

行く気になったきっかけはHPに出ていた「SLに乗ってフィッシュ&チップスを食べる週末」という案内だ。特別車両の名前は「エッピング・フライヤーEpping Fryer」号。この「フライヤー」とは、「飛ぶ」ほうのフライ(Fly)ではなく、揚げ物=フライ(Fry)を作るのに使う専用の鍋を意味する。いうまでもなく、揚げ物であるフィッシュ&チップスにひっかけたユーモアたっぷりの名前だ。それも気に入りすぐに予約した。

さて、ロンドン中心部のトテナム・コートロード駅から地下鉄セントラルラインに乗り終点エッピング駅まで45分。途中のストラットフォード駅からは、地下鉄とはいいつつトンネルを出て終点まで地上を走る。車窓から見える景色は下町からいつしか工場地帯となり、そのうち一面が黄金色の麦畑に……と刻々変化していき、しっかり旅気分が盛り上がってきたのに驚いた。

戦後に活躍した緑の2階建ヘリテージ・バス。

保存鉄道駅までは、専用のシャトルバスがエッピング駅前から走っている。

これがまず最高におしゃれなのだ。

なんと1940年代のヘリテージ・バス。ピカピカに復元された赤と緑の二階建てバス3台が、交互に乗客を迎えにくる。昔ながらの格好をした車掌さんが切符を切りにくるところまで、とことんレトロしていて感動ものだ。

ロンドンでもお馴染みだった赤い色の旧型ダブルデッカー
 「エッピング・フライヤー号」

10分ほどで始発駅ノースウィールドに到着すると、すでに本日の主役「エッピング・フライヤー号」が静かに蒸気を上げながら待っていた。4両の客車を引く機関車は1927年グレート・ウェスタン鉄道会社製。本当の名前は5521号なのだけれど、今日はイベント用の看板を掲げている。

乗客は撮り鉄よりも若い家族連れやシルバーカップルのほうが多い。

5521号は50年にわたりイングランド中を100万マイルも走りまわったのちに勇退したが、SLファンの情熱によって復活。ポーランドを訪れたりオリエント・エキスプレスを率いるなど再び大活躍してきた。ロンドン交通局の依頼で昔の車両カラーに塗られて以来、地下鉄を蒸気機関車が走っていた時代(完全電化は1961年だった)の面影を伝え続けている。

ノースウィールド駅は、3駅しかないエッピング・オンガー鉄道の真ん中の駅。ここから隣のオンガー駅まで2回往復する間にフィッシュ&チップスを食べるというわけだ。

スタッフは全員ボランティア。帽子の上にはくるくる走るSL模型が!

客車に乗りこむと、鉄道模型を乗せた帽子を被った乗務員が登場した。人懐っこい下町方言であるコックニーなまり全開でジョークを飛ばし、乗客を笑わせる。まもなく汽笛とともに発車オーライ。最後尾車両はバーで、生のエール(英国ビール)やソフトドリンクを買うことができる。しかし長い行列を見て、無料で配られたミネラルウォーターでがまんしてしまった。

フィッシュ&チップスは四角い紙箱に入って出てくる。

オンガー駅に到着すると、待望のフィッシュ&チップスが運ばれてきた。箱はかなり熱い。「揚げたてをお持ちしました!」という口上は確かなようだ。タルタルソース、小袋に入ったケチャップとお酢がついてくる。チップス(ポテトフライ)には酢と塩をたっぷりかけて食べるのがイギリス流。熱いポテトからツーンと立ち上る酢のきつい香りに鼻を突かれる。何年この国に暮らしてもこれだけは馴染めない。

デザートタイムにはアイスクリームが。

英国のこととてお味のほうは期待はしていなかったが、チップス(ポテトフライ)はほくほくだし魚の衣もカリッとしていて、まあイケる。街なかのフィッシュ&チップス店のものに比べると魚のサイズも小さ目で、日本人の自分にも完食できる量だった。食後に地元酪農ファーム産のバニラアイスがデザートとして配られる。これはおいしかった。

160年あまり前を彷彿とさせる駅構内。

オンガー駅では10分くらい停車するので外へ出てホームをちょっと見て回ることもできる。実はこのオンガーとエッピングを繋ぐ線は、1865年にグレート・イースタン鉄道の一部として開通し、ロンドン地下鉄網に吸収されたのは1947年だった。駅のホームは開通当初のビクトリア時代の様子を再現している。駅舎の中も歴史を感じさせるレイアウトで何もかもがレトロチックだ。

中にボイラーとフット・ウォーマーが収納されていた小屋。

興味深いのはホームに残る小さな小屋。「フット・ウォーマー」という看板がついている。車両内に暖房がなかった19世紀末から20世紀のはじめ頃まで、一等車乗客に貸し出す器具を保管するところだった。巨大な湯たんぽのような器具の中には酢酸ナトリウムが詰められ、激しく振ることで化学反応を起こし発熱させる仕組みだったとか。

今でこそエコカイロに使われている技術なのだが、それが19世紀にすでに普及していたことに驚く。が、考えてみればここは英国。産業革命と数々の発明によって現代の便利な生活が始まった地だといっても過言ではないのだ。

ロンドン地下鉄のスタート地点はここ。

そして線路が切れる終点部分には「0.0」という標識がある。オンガーはロンドンの地下鉄網で最も東側に位置する駅。そのため「オンガーから何km」と、各地下鉄駅の位置を表すスタート地点に選ばれたのだった。今もこの仕組みは変わっていない。

戦時中もユーモアを大事にした様子が窺える看板。

食事も終わり出発地点のノースフィールド駅に戻る。お腹いっぱいな乗客の多くは、駅のカフェで紅茶をすすり始めた。入り口には「疑わしきは紅茶を淹れろ(爆破しろという意味もある)」という戦時中の標語が貼ってあり笑える。

乗車券があれば終日乗降自由なので、自分は紅茶をパスし別のディーゼル車に飛び乗りオンガーと反対の終点エッピング・フォレスト駅(ホームはなく乗降はできない)まで行ってみた。

車窓から顔を出して深呼吸したくなる景色。

これがまた抜群に気持ちの良い経験だった。緑のトンネルをくぐり、木漏れ陽の中を進んでいく。エッピング・フォレストは古代樹がおい茂る2400エーカーという広大な自然公園。片道たった8分程度の旅とはいえ、その中を列車で走る爽快さといったらない。

あまりに楽しく癒されるひとときを過ごした筆者は、今までこの保存鉄道を敬遠していたことを深く後悔したのだった。ロンドンに来る旅行者のみなさんに心からおすすめしたい。

エッピング・オンガー鉄道:https://www.eorailway.co.uk/
運行日:学校が休みの時期に合わせて運行するのでウェブサイトを参照。
乗車券(一日券のみ):大人£18 3歳―15歳は£1
特別な車両が走るなどのイベント日には料金が上がる。
フィッシュ&チップスが食べられる「エッピング・フライヤー」号は5月から9月にかけて毎週土曜(8月は毎週土日)に運行。その他の時期はウェブサイト参照。ランチは13時発、ディナーは19時発。機関車はSLでなくディーゼルの日もある。人気が高いので早めの予約を。
料金:フィッシュ&チップスとデザート、一日乗車券とバス往復がセットで£29.50(2023年の料金)

文・写真/冨久岡ナヲ(英国在住ライター)
ロンドン在住のジャーナリスト、英国ビジネスや時事ネタを中心に執筆中。旅と鉄道と食が趣味。共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿(光文社新書)」がある。海外書き人クラブ(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 

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