文・写真/東リカ(海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター)

オレゴントレイルの終着点を示すプレート

19世紀半ばから約50万の人々が様々な夢や野望を胸に、ロッキー山脈を越えて、未だ未開の西の荒野へと旅立った。しかし、開拓者たちが半年近くかけて歩んだ2,170マイルの「オレゴントレイル」は過酷で、10人に1人が命を落とし、「全米最長の墓場(the nation’s longest graveyard)」と呼ばれたという。

ドリームランド「オレゴン」への2000マイル

約2000マイルのオレゴントレイル

「オレゴントレイル」は、1840年頃から大陸横断鉄道が開通した1869年頃まで使用されたミズーリ州インディペンデンスから、オレゴン州オレゴンシティを目指す2170マイル(3492km)の陸路だ。開拓者達は、約4か月から半年かけ、ロッキー山脈をはじめ、いくつもの山、川、滝、砂漠地帯などを越えて西へ西へと進んでいった。

初期開拓者たちが過酷な旅になることを知りつつも、オレゴンを目指した背景には深刻な経済不況と都市部での病の蔓延がある。苦しい生活を送る人々に対して、西部を知る毛皮交易商人や宣教師たちが、緑あふれるオレゴンの豊かさを喧伝。また、英国に対して北西部での存在感を示したいアメリカ政府が国民の愛国心を煽り、また土地を無償で払い下げると約束したため、多くの農民や商人たちが「夢の土地」への出発を決意した。

1841年の最初の開拓者は約80人という小規模なグループであったが、1843年には、約1000人、1845年には約3000人と急激に参加者は増加。「オレゴン・フィーバー」と呼ばれる流行となり、20年間で約5万人が移住したそうだ。

オレゴンシティの登記所にたどり着けば、白人男性には無償で320エーカーが、夫婦であれば、さらに妻の名義で320エーカーの所有が認められた。

なお、オレゴントレイルは、途中で二手に別れ、一方は北のオレゴンの農地へ、もう一方は南のカリフォルニアの金鉱地へ向かった。当時の案内人が移住者について「臆病者は出発しなかったし、弱い者は途中で死んだ」と述べたそうだが、更にゴールドラッシュで一攫千金を狙う野心家がカリフォルニアへ、地に足のついた生活を求める堅実派がオレゴンへ向かい、今もその傾向が残るとも言われている。

過酷なオレゴントレイルでの生活

オレゴントレイルでの生活。ワゴン内で眠るのではなく、テントを立てた。

オレゴントレイルには、15歳から35歳を中心に、赤ちゃんから年配の人々までの姿があった。開拓者は、幌で覆った農場で使う木製の荷台に、食糧や衣類、テント、調理用具、狩猟銃などを詰め込み、牛に引かせ、徒歩で進んだ。約900kgまでという重量制限の中、何を積み込むかは、生き残るか否かの重要な要素となった。

小麦粉、豆、ベーコン、砂糖、塩、コーヒーといった食糧が荷の大半、約800kgを占めた

また、半年近い旅に、いつ出発するかも大切な要素で、冬を避けることはもちろん、例えば、家畜の食べる草が生えているか、越える川の水量はどうかなど、考慮すべき要素がいくつもあった。そのため、出発地点で集まった開拓者たちは、同時期に一団となって西を目指した。例えば、約1000人が参加したという1843年は、100台の荷台と5000頭の牛が列をなしたが、この行列は「ワゴン・トレイン(列車)」と呼ばれた。

いくつもの墓が並んでいたという過酷なオレゴントレイル

「全米最長の墓場」の異名をもつ旅だと聞くと、川で溺れたり、嵐や落雷、食糧不足、また、バッファロー、クマ、蛇など危険な野生動物などが待ち受けていると思うかもしれない。しかし、実際の死因の9割は病気であった。特に症状が出てから12時間以内に死に至るというコレラが最も恐れられた。他にも火薬の爆発のようなアクシデント、また長い共同生活のため、喧嘩や自殺などで命を落とす人々もいた。ちなみに開拓者の多くが恐れていた先住民は、ほとんどが友好的で、開拓者が持ち込んだ病気やバッファローの乱獲などの被害を被ったのは、むしろ先住民の方であった。

現在のオレゴンシティ

全米で2番目に水量の多いウィラメット滝

ウィラメット滝によりオレゴントレイルの最終地点となったオレゴンシティは、ロッキー山脈以西で最も古い街。現在のワシントン州、アイダホ州、カナダのブリティッシュ・コロンビア州を含む大陸北西部一帯がオレゴン・テリトリー(準州)と呼ばれていた1848年から1851年までは、その州都でもあった。

エンド・オブ・ザ・オレゴントレイル・インタープレティブ・センターのGail Yazzolino氏

現在も、オレゴンで最も古いメインストリートや「オレゴンの父」と呼ばれるジョン・マクラフリン氏の邸宅などその歴史があちこちに残されている。なかでも、オレゴンの最初の知事として開拓者を歓迎したジョージ・アバネシー氏が所有した土地に立つ「エンド・オブ・ザ・オレゴントレイル・インタープレティブ・センター」は、オレゴントレイルの旅を体感できる施設として人気がある。ポートランドを訪れる際には、西部開拓者の足取りを辿るのも面白いのではないだろうか。

オレゴンの開拓者が故郷から持ち込んだバラや野菜が育つ庭

エンド・オブ・ザ・オレゴントレイル・インタープレティブ・センター (The End of the Oregon Trail Interpretive Center) https://historicoregoncity.org/
住所:1726 Washington St, Oregon City, OR 97045
電話: (503) 657-9336

取材協力:エンド・オブ・ザ・オレゴントレイル・インタープレティブ・センター 

参考資料:History “A thousand pioneers head West as part of the Great Emigration”
https://www.history.com/this-day-in-history/a-thousand-pioneers-head-west-on-the-oregon-trail;

文・写真/東リカ (海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター) 米国オレゴン州ポートランド在住。2014年12月に家族でブラジル・サンパウロから移住。現在はフリーランスとして、日本のメディアへの執筆やマーケティングリサーチを行なっている。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

 

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