人は、どのようにして「棲家」を決めるのでしょうか?
都会に住んでいる人であれば、大方の人が通勤や子育てのことなどを考え、利便性の良い所、快適な生活ができる住居を選んでいるのでしょう。あるいは、経済的な理由から生活環境や利便性を犠牲にして、住む場所を決めておられる方もいらっしゃるかもしれません。
“山奥の僻地に住む人を探し訪ねる”という人気のテレビ番組がありますが……。その番組を観ておりますと、人は必ずしも快適性や利便性だけで住居を決めているのではないことがわかります。何も知らぬ人から見れば、不便そうに思える生活も住んでいる人にとっては「快適この上ない!」環境であるのです。
「住めば都」という諺のとおり「その気になれば、人は、どんな場所にだって住める」 ということなんでしょうか……。とはいえ、“移住”するとなると、そう簡単に「棲家」を決めるわけには参りません。それなりに、慎重な検討が必要になります。
少なからず“移住”への関心を持っている私は、時折ですがGoogleマップを見ながら「もしも・移住するなら町探し」をして楽しんでいます。
さて、今回の懐かしき風景は、Googleマップを眺めながら「もしも・移住するなら町探し」で見つけた町の一つです。おそらくは、記事中の写真や動画をご覧になった方は「どうして、こんな大変な場所に……」と思われるかもしれませんが、「住めば都」で、この地域ならではの風情、景色の美しさを感じていただけると存じます。
二度の世界大戦によって造られた、坂と急階段の町・両城
生活の中で、大変だとか苦痛に感じる事柄は年齢と共に変化します。若い頃は、そんなに苦でもないことが、年齢を重ねるにつれ「苦痛」になってくることが次第に多くなっていきます。そんな顕著な例が、重い荷物を運ぶとか、急な坂や長い階段の登り降りです。
しかし、そうしたことも毎日繰り返していると、慣れて案外“苦”では無くなる場合もあります。例えば、足腰の鍛錬の方法として意識的に坂や階段の登り降りをすると、足腰の衰えを防ぐことができるかもしれませんが……。
さりとて、毎日の生活の中で「急な坂や階段の登り降りが避けられない」となると、それはそれで「過酷な生活環境」ということにもなります。
今回は、そんな「過酷な生活環境」に見えてしまう、急斜面に張り付くように広がる特殊な町並み広島県「両城」の風景をご紹介します。
最初に、Googleマップのストリートビューで「両城(りょうじょう)」を発見した時、「何だ、この町は?」と驚いたのが正直な感想。どうして、こんな急斜面の場所に家が立ち並んでいるのか? 不思議でなりませんでした。
そんな「坂と石段の町・両城」への興味が湧き、訪ねてみたくなり出かけることにしました。訪ねるにあたり、少し両城の歴史を紐解いてみると、現在のような特殊な町並みが形成された背景には、呉が軍港として発展したことと深い関係があるようです。そのことを、簡単にご紹介しておきましょう。
急勾配・200階段は、地元民の健脚を維持する鍛錬の場
両城は、呉市の中で一番早く朝日のあたる町だそうです。両城地区の特徴は、急勾配の階段と坂道、そして城郭と見紛うほどの立派な石垣。その立派な石垣の上には、明治期から昭和初期に建てられたと思しき歴史を感じさせる住宅が残っています。
「両城」という地名は、この風景から付けられたのかとさえ思えました。「両城」を象徴する場所が200階段。角度45度以上もありそうな山の斜面に、直登するように階段が切られています。
さっそく、チャレンジしてみました。日頃、鍛錬を怠っている人間にはキツイ。直ぐに息が上がってしまい階段に座り込んでしまいました。そんな私を、200階段の途中にある住宅に住んでおられるご婦人が、洗濯物を干しながら眺め笑っていました。
幾度か息を整えながら200階段を登り切ると、呉湾が一望できる“素晴らしい眺め”が待っていて、ちょっとした登頂気分を味わうことができました。巨大な雛壇のように宅地の広がった両城地区全体も、まるでジオラマを見ているように見渡すことができます。
200階段は、登るのも大変ですが、降りる方は恐ろしい……。例えるならば、下りジェットコースターが途中停止しているような感じでしょうか? 高所恐怖症の方には、とてもお勧めすることはできません。
そんな恐ろしい階段を下っておりますと、面白い光景に出会えました。200階段の途中、最も角度がキツイ処を繰り返し登り降りする一人の高齢の男性。それは、明らかに200階段を鍛錬のために活用している姿でした。
お尋ねしてみると、毎日のように自転車を漕いで200階段を登りに来ているとのこと。実年齢とは掛け離れた健脚ぶりを見て、羨ましいと思うと同時に健康を維持するために「両城」で暮らしてみようかとさえ思ったほどです。
その“健脚高齢者”に刺激を受け、鈍な足腰を鍛えるべく両城地区内の風景を楽しみながら階段や坂道を歩いてみました。実際に地区内を散策をしてみると、空き家と更地となった宅地が多いことに気づきます。聞いてみると、両城は「急傾斜地崩壊危険地区」に指定されている区域もあるようで、その影響もあるとか。
地元愛に溢れる人たちが集う、商店街を歩く
急な傾斜地の両城地区に隣接する平坦地には、三条地区と呼ばれる市街地が広がっています。両城地区への旧海軍関係者の移住が進むにつれ、生活に必要な食料品や生活用品などを商う人々が、三条地区へと移り住むようになりました。このようにして両城・三条地区は、呉市と同様に旧海軍と共に歩んできた歴史があります。
地区を南北に通り抜ける「三条通り商店街」を歩いてみると、現在でも昭和な雰囲気が色濃く残っておりました。呉の中心地へ大型ショッピングモールが進出したり、過疎化の影響もあって空き店舗が目立つようになっているようです。
しかし、昔ながら元気に営業するお店も見られました。そんな商店街の一角に、空き店舗を利用した「ふれあい広場」という施設を見つけました。慣れない階段登りの後で、少々疲れたので休憩させてもらうことに。「ふれあい広場」について、発起人である力安鈴子(りきやす・すずこ)さんに、お話を伺うことができました。
「両城・三条地区も、住民の高齢化と少子化が進んでいます。そうした状況を打開するためにも、子供から大人まで集まって触れ合える場所を作りたいと思い『ふれあい広場』を開設しました。両城・三条地区に住んでいる人に、この施設を通じて『住んで良かった、これからも住みつづけたい』と思ってもらえると嬉しいです」と話されました。
お話を聞いている間にも、何人もの高齢者が訪れてきて、楽しげに会話を楽しんでおられました。新しく生まれ変わろうとする町の姿を垣間見ることができ、この町の住み易さを知ることができました。
「三条通り商店街」散策の最後、呉市内でもその名が知られる『ポパイ』のお好み焼きで空腹を満たすことにしました。『ポパイ』と言えば、サライ世代には懐かしいテレビ・アニメの主人公。初めて訪れる店なのに、親しみを感じます。
店主の村垣範正さんに、店名が『ポパイ』になった経緯を聞いてみると、「呉といえば海軍、海軍と言えば水兵さん、水兵さんと言えばポパイでしょ」と答えてくれました。「なるほど!」と納得。地域の人に、美味しいお好み焼きを食べてもらって、元気になって欲しいとの願いも込められているようでした。
そんな気持ちのこもったお好み焼きからは、近い将来、両城・三条地区が賑やかさを取り戻すエネルギーのようなものが感じられました。
広島県呉市を訪れた際には、大和ミュージアムなどの観光の後、是非とも両城・三条地区を散策してみてください。
所在地・アクセス
住 所:広島県呉市両城1丁目・2丁目
鉄 道:西日本旅客鉄道 呉線呉駅からバスで約15分ほど
自動車:東広島呉自動車道 阿賀ICから約20分
取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
参考:
呉地域観光日記“くれまち”ダイアリー
フォトジェニックレ(Instagram)
協力/呉市
ナレーション/敬太郎
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com Facebook