文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)
1991年に公開されたリドリー・スコット監督『テルマ&ルイーズ』(原題: Thelma and Louise)はロードムービーの傑作だと思う。主人公の2人が手を取り合って大峡谷に車で飛び込むラストシーンは観たものすべてに強烈な印象を残した。ハッピーエンドが多い昨今のハリウッド映画では異彩を放っている。『イージー・ライダー』(原題:Easy Rider、1969年)の結末と重ね合わせる人もいるだろう。
『テルマ&ルイーズ』はアーカンソーからオクラホマを経て、アリゾナ州グランド・キャニオンまでを2人がドライブする逃避行という設定になっている。しかし、屋外撮影のほとんどはその行程にないはずのカリフォルニア州とユタ州で行われたのだと後で知った。
この映画はブラッド・ピットの出世作でもある。ヒッチハイカー(実は強盗常習犯)の彼が登場するモーテルはいかにも南部の田舎を思わせるが、実はロサンゼルス市内、南カリフォルニア大学近くの市街地にあるモーテルで撮影されたものだ(現在は閉鎖されている)。
あのラストシーンが撮影されたのはユタ州デッド・ホース・ポイント州立公園である。しかし、主人公たちが「グランド・キャニオンに来た」と呟くし、少なくとも筆者はそうであると信じていた。と言うより、グランド・キャニオン以外の場所であるとは考えもしなかった。それほどそっくりな風景なのだ。
人がほとんど住まない土地を走るフリーウェイ
世界遺産でもあり「世界の七大自然の驚異」のひとつにも数えられるグランド・キャニオンと見分けがつかないほどの大峡谷が、さほど有名でもない州立公園に過ぎないところに存在するわけだが、それだけではない。ユタ州はそのほとんどを雄大な手つかずの土地が占めている。
日本の本州とほぼ同じ面積を持ちながら、人口は約339万人(2021年米国国勢調査)である。しかも、その80%ほどは州都ソルトレークシティの都市圏に住んでいる。それ以外の地域がどれほどの人口密度なのかは容易に想像できるだろう。
デッド・ホース・ポイント州立公園の近くを通るインターステート・フリーウェイ70号線はユタ州で15号線から分岐し、遠く東海岸まで続いている。東側の州境を接するコロラド州デンバーまで大きな都市はない。車の窓から眺めることができるのは広大な空と地面だけである。
筆者はこのフリーウェイ沿いにあるユタ州内ワシントンという名の小さな町に2泊したことがある。特に目的があったわけではなく、ただ単にドライブ旅行の途中で日が暮れたからだ。
フリーウェイの出入り口付近にホテルが数軒あり、レストランやスーパーマーケットもある。賑やかではないが、他のアメリカの町とさほど変わった様子には見えなかった。道路や建物は新しく、裕福な町のような印象すらあったし、実際にそうなのだろう。
ところが、この町に滞在している間に筆者はひとつの大きな問題に直面することになった。アルコール類を一切口にすることができなかったのである。
ユタ州は人口の大多数をモルモン教徒が占め、彼らは教義上でアルコールを禁じているのだ。コーヒーも禁じられているので、スターバックスもあまり見かけない。
もちろん違法というわけではないので、探せばビールやワインくらいは買えるはずだ。しかしスーパーマーケットにもコンビニエンスストアにもアルコール飲料売り場はないようだった。
レストランのメニューでビールを見つけたときは嬉しかったが、注文すると「今、切らしています」という答えが返ってきた。
別のレストランでは若いウェイトレスに「私はアルコール類をサーブする資格がありません」と言われた。それではサーブできる人に代わってくれないかと頼むと、「今の時間は誰もいません」ということだった。
このように書くと、いかにもギスギスした印象を受けるかもしれないが、けっしてそうではない。彼ら彼女らは、礼儀正しく微笑みながら、本当に申し訳なさそうに、それでもビールを出してくれないのだ。変わった土地であり、変わった人たちである。
この町はネバダ州境に近く、「世界で最も罪深い都市」ラスベガスには2時間足らずで到着する。にもかかわらず、州境を越えるだけで、まるで外国に足を踏み入れたような気分にさせられた。画一化が進む現代のアメリカではなかなか得難い経験ができたと言うべきであろうか。
観光が州の主要産業であり、ザイオン、アーチーズ、ブライス・キャニオンといった人気国立公園の他に、ウィンタースポーツのリゾートも有名だ。もちろん、そうしたメジャーな観光地ではビール入手に困ることはないので安心して訪れてほしい。
文・角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。