言葉は、その時代その時代の動きや流れを、色濃く映し出します。そうしたことから、以前は頻繁に使われていた言葉も、時代の変化と共に次第に使われなくなってしまうものもあります。そんな言葉の中に「人情」とか「人の情け」も含まれているように感じております。

まだ、私が幼かった頃、周囲の大人たちの会話の中には「人情」とか「人の情け」という言葉が頻繁に登場していたような記憶があります。しかし、この記憶も昭和の映画スター高倉健さんの任侠映画を観て育った世代の勘違いなのかもしれないのですが……?

今は、プライベートが重視される世の中。人間関係においても、必要以上に深入りすることは敬遠されてしまう傾向にあることから、「人情」とか「人の情け」という言葉も、次第に人の口から遠のいてしまったという見方もできます。だからと言って、日本人の「人情」や「情け」が希薄になってしまったのかと言うと、決してそのようなことはないと信じています。

おそらくは、日々の生活の中で「人情」や「他人への情け」を、表に出す機会が減っているだけではないでしょうか? 特に、何もかもがシステム化され生活が便利になっている都会に住む人ほど、その傾向が強くなっているのかもしれませんね。

時折、過疎化が進む地方の小さな町を訪れ、地元の人と触れ合う奇縁に恵まれた時など、遠のいていた「人情」とか「人の情け」を強く感じることがございます。

東長島地区の風景
昭和な人情味が感じられる紀北町の西長島地区の風景

そんな時、どのように応じて良いものか? と、子供のように戸惑うばかり。ぎこちない儀礼的な言葉しか出てこない自分に、少しもどかしさを感じながら、普段「人情」や「他人への情け」を表に出す機会が無くなっている影響かと反省しきりです。

さて、今回ご紹介する「懐かしき風景」は、町の中に「人情」や「人の情け」が感じられる熊野灘に面した小さな港町の風景です。その風景から、あなたの心の奥底に眠っている「人情」や「人への情け」を呼び起こしていただけると幸いです。

世界遺産 熊野古道・伊勢路の観光拠点、紀北町の歴史を紐解く

今は遠くなってしまった、少年時代。その頃に見ていた懐かしい風景を求め、三重県の紀北町を訪れてみました。

紀北町は、三重県の南部に位置し、海岸線は熊野灘に面しており県内有数の漁獲高を誇る漁業の町であるとともに、西側は日本有数の原生林が残る大台山系の山々が連なっており、町全体の約90パーセントが「森」という山深い町でもあります。

天狗倉山頂から観る尾鷲湾と熊野灘の風景
天狗倉山頂から観る尾鷲湾と熊野灘の風景

古くは、伊勢(田丸)から熊野三山(熊野三山、高野山、吉野・大峯)へ向かう道中であったことから、今では、世界遺産の熊野古道・伊勢路(正式名称「紀伊山地の霊場と参詣道」)、「馬越峠」「始神峠」「三浦峠」「荷坂峠」「ツヅラト峠」への登り口があるので観光拠点にもなっています。

特に「馬越峠」は、アクセスの便利さと石畳の美しさから、熊野古道・伊勢路の中でも最も人気が高くリピーターも多いとか。そんな紀北町の歴史の深さを、町のホームページに見ることができます。興味深いので、その一部を抜粋してご紹介します。

国道42号線沿いにある熊野古道・馬越峠の登り口
国道42号線沿いにある熊野古道・馬越峠の登り口

古く歴史を遡れば、当地方は志摩国に属していましたが、そのあと全町が伊勢神宮の御領地となっていました。南北朝時代には、南朝に味方する勤皇家も多かったのですが、やがてその勢力も衰微し、戦国時代の天正10年(1582)、新宮の堀内氏善の北進によって、当地方一帯は紀伊の国になりました。

関ヶ原合戦のあと、紀伊藩主浅野氏が領主となり、元和五年(1619)に徳川頼宣が入国して、徳川御三家と称されました。今の紀伊長島地区は藩政時代に入ると長島浦は島勝、白、三浦、海野、道瀬、錦の六浦と二郷村、赤羽郷五箇村の七浦六村で長島組を形成しました。特に長島浦は熊野灘を代表する海産物、林産物の集散地、積み出し港としてにぎわいを見せていました。

上記の歴史紹介に「積み出し港としてにぎわいを見せた」と記載のある「長島浦」を訪れることにしました。

古くから積み出し港として発展を遂げた、長島港の風景

旅先の合縁奇縁は楽しきもの、人の情けが心に染みる

町歩きをするにしても情報収集が大切と、先ずは「道の駅 紀伊長島マンボウ」内の観光案内所へ立ち寄ってみることに。そこで入手したのが『旅するきほく』と『魚まち散策マップ』という二つの資料。この資料が後々、役立つことになりました。

熊野灘の美味しい魚を味わいたいと思い『旅するきほく』に掲載されている店の中から、目星を付け行くことにしました。選んだのが、JR東海紀勢本線の紀伊長島駅からほど近い「多喜屋」。この店が大当たり、長島港で水揚げされた新鮮な魚介、地元で採れた新鮮な野菜や山菜を使った料理をたっぷり味わうことができました。お店の雰囲気、出される料理は、いずれも家庭的でまるで親戚の家にでも逗留しているかのような気分に。

長島港で水揚げされた魚料理を出してくれる紀伊長島駅近くの「多喜屋」
長島港で水揚げされた魚料理を出してくれる紀伊長島駅近くの「多喜屋」

自然と会話は弾み、料理を食べながら女将さん(東佐知さん)に長島地区のことを聞いてみました。すると道の駅で入手した『魚まち散策マップ』を作成した「古道 魚まち歩観会(こどう うおまちあるかんかい)」のメンバーの一人だと言います。お店を切り盛りしながら、町並保存や町おこし活動に取り組んでいるとのこと。翌朝、港の周辺、古い町並みの案内や地元の漁師さん、乾物屋さん、蒲鉾屋さんなどもご紹介いただく約束して、その夜は遅くまでお酒を酌み交わすことになりました。

はじめて訪れた漁師町に、幼少期に眺めた風景を重ね合わせる

約束の待ち合わせ時間は、早朝5時半。待ち合わせ場所の「多喜屋」の前へ行くと、女将さんは待ってくれていました。女将さんの運転する軽乗用車に誘導されながら、5分ほど車を走らせると江ノ浦湾の小さな漁港に到着。その周辺が「魚まち」と呼ばれている地区とのこと。

風情のある「魚まち」の風景
風情のある「魚まち」の風景

浜はすでに、前日の午後に仕掛けておいた刺し網を引き上げ、帰港した漁船で賑わっておりました。船ごとに、引き上げられた刺し網を「はぜかけの棒」に吊るし、掛かった魚や海老を一つ一つ丁寧に外す…。この網外し、なかなかに大変な作業で、全て取り外すのにお昼近くまで掛かるとのことでした。

引き上げられた刺し網を「はぜかけの棒」に吊るし、掛かった魚や海老を外す作業風景
引き上げられた刺し網を「はぜかけの棒」に吊るし、掛かった魚や海老を外す作業風景

浜での漁師さんたちの作業を見学した後、女将さんから「魚まち」一番の絶景ポイントを勧められ、「江ノ浦大橋」へと向かうことに。赤い橋梁のたもとに設置された階段を登り切ると、橋の上から江ノ浦湾と魚まちを一望することができました。

ちょうど熊野灘に朝日が登る時間帯とも重なり、清々しくも何か神々しい雰囲気に包まれ、見知らぬ土地であるはずなのに、遠い少年時代に見たような風景に、暫しの間見惚れてしまいました。

江ノ浦大橋の上からみた江ノ浦湾と魚まちの風景
江ノ浦大橋の上からみた江ノ浦湾と魚まちの風景

かつての賑わいが聞こえてきそうな、古い街並みが残る「魚まち」を歩く

陽が登り切ったところで、魚町の古い町並みをゆっくり散歩することに。『魚まち散策マップ』を片手に町内をウロウロしておりますと路地からひょっこりと現れた一人の男性。「案内しましょうか?」とお声掛けいただいた。その方は、「多喜屋」の女将さんが親しくしている「古道 魚まち歩観会」代表の植田芳男さんで、お言葉に甘えることにしました。

魚まちを案内していただいた「古道 魚まち歩観会」代表の植田芳男さん(活動拠点である「魚まちのたまり場」の前にて)

旧熊野街道が通る魚町には、歴史ある寺社仏閣や由緒のある家屋が随所に残っています。それらを魚町育ちの植田氏は、ご自身の幼少期の思い出や様々なエピソードを交えながら、軽妙な語り口調で丁寧に説明してくださいました。話しぶりからも、深い郷土愛が伝わってきます。

細かく入り組んだ魚町のあちこちに、町名を記した可愛らしいマンボウを形どった陶板が目に付く。聞けば「古道魚まち歩観会」が中心になってデザインから起こしたもので、少しでも多くの人たちに、この魚まちを訪れてもらい知って欲しいとの熱い思いからだといいます。

「古道魚まち歩観会」が中心に作成したマンボウを形どった町名を記した陶板
マンボウの形をした町名を記した陶板、「古道魚まち歩観会」が中心に作成

そうした活動の拠点となるのが「魚まちのたまり場」という施設。この町で育った人たち、移り住んだ人が定期的に集まり、町の伝統行事の伝承や活性化についてアイデアを出し合い、忍び寄る過疎化を食い止めるために奮闘していること。色々な苦労話に、本当に頭が下がる思いでありました。

昭和な雰囲気を感じさせてくれる「ふみきりや」
昭和な雰囲気を感じさせてくれる「ふみきりや」、昭和の風景が色濃く残る紀伊長島の町並み

熱心な案内やお話に、ついつい引き込まれてしまい、気がつくと時刻はお昼近く。

帰宅する車の中で、紀伊長島の一日を振り返ってみました。今回の取材では、目に映っていた古い町並み以上に、そこで生活する人々の暮らしぶりや、その人たちから受けた人情というものに強く懐かしさを感じていたことに気づきました。

お伊勢参りや、熊野古道へ行かれた折には、紀伊長島の魚まちにもお立ち寄りになってみては如何でしょうか?

アクセス情報

所在地:〒519-3204 三重県北牟婁郡紀北町東長島(紀伊長島駅)
鉄 道:JR東海紀勢本線 紀伊長島駅より車で約5分ほど
自動車:紀勢自動車道 紀伊長島ICより約10分

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
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