文・写真/吉村美佳(海外書き人クラブ/ドイツ在住ライター)

勢力を持つオスマントルコに、キリスト教の連合軍(ヨーロッパ)が初めて勝った戦い「レパントの海戦」。それは、450年前、1571年10月7日。ギリシアのイオニア海(地中海の一部)にあるレパント(現ナフパクトス)で繰り広げられたこのレパントの海戦は、ガレー船と呼ばれる、つまり旧式の船を利用した最後の戦いとしても知られている。

この連合軍を勝利に導き出したのは、ドン・フアン・デ・アウストリア。

ドン・フアンの父親は、オーストリア系ハプスブルク家の出身、神聖ローマ帝国の皇帝かつスペイン王であるカール5世。近親交配の続いた結果とされる、有名な「ハプスブルク家の顎」の持ち主。ある女伯爵との間に生まれた子どもだとされていたが、1908年、レーゲンスブルクのベルト職人の娘であるバルバラ・ブロンベルクとの間に授かった子どもだと分かった。

ドン・フアン・デ・アウストリアの像は、1978年オリジナルに忠実なレプリカとしてレーゲンスブルクに設置された(オリジナルは1572年にイタリアのメッシーナ(連合軍の出発した地)に置かれた)。

神聖ローマ帝国の帝国議会は、当時不定期に色々な場所で開催された。16世紀以降何度かレーゲンスブルクで開催されたが、特に1567年以降は2回の例外を除き、常にレーゲンスブルクで行われた。ちょうど1546年も、ここレーゲンスブルクで帝国議会が行われていたのだった。

場所は、旧市庁舎。13世紀当時、二階にはダンスホールとして大きな広間が設けられた。これが後に帝国議会の会場として使われるようになる。今でもその広間は室内楽のコンサート会場などとしても使われる他、観光客向けにガイド付きツアーで見学できるようになっている。

旧市庁舎。築1240年頃。左側部分二階は大広間で、神聖ローマ帝国の議会会場として使われていた。

議会会場から少し西へ行くと、オーストリアの皇帝など、身分の高い人々が好んで宿泊したホテル、ゴールデネス・クロイツがある。今も現役のホテルである。ノイシュバンシュタイン城で有名なルートヴィヒ2世も皇太子の時代から利用していたという。カール5世も、この議会のためホテル・ゴールデネス・クロイツに長期滞在。46歳だった。

ホテル・ゴールデネス・クロイツは、16世紀以降ずっとホテルとして使われている。築1250年頃。

ホテルは、ハイド広場の北側に面しているが、広場東側には、当時酒場として使われていた建物がある。ここは、帝国議会の当時は酒場だったが、その後100年間にわたって帝国議会図書館として使われ、その後行政裁判所となった。

帝国議会が長引き、精神的にも疲れ切った時には、この酒場もきっと賑わったことだろう。

ノイエ・ヴァーグと呼ばれる1300年頃の建物。酒場として使われていた。

さらにもう少し歩くと、タンドラーガッセ(タンドラーの小道)がある。ここは、職人の店が並んでいた。

タンドラーガッセ(タンドラー小道)

ドン・フアンの母親とされるバルバラが住んでいた家も健在だ。

バルバラ・ブロンベルクの生家

カール5世とバルバラの間に生まれた子は、ヘロモニと名付けられた。カール5世の指示で、ヘロモニが3歳半になるとスペインに里子に出した。育ての親は、カール5世の信頼を受けた夫婦だったが、高等教育を受ける環境になかったため、6歳で別の家へと移った。

カール5世の死期が近づいた1557年、ヘロモニを呼び出して初めての対面を果たした。ヘロモニに対して好印象を受けたものの、翌1558年亡くなる。

亡くなる前に、息子のフェリペ2世(後スペイン王)に、自分の死後、ヘロモニの面倒を見るように頼んだ。皇帝と商人家柄の娘の間に生まれた子どもは、聖職につくのが普通であったが、ヘロモニは本人の強い希望で軍人となる。

フェリペ2世はヘロモニに、ドン・フアンという名前を与え、戦の経験を積ませた。最初の戦いは、1565年。ドン・フアンは当時18歳の若者であったが、徐々に成功体験を重ね、レパントの海戦で指揮を取るに至ったのだった。

レパントの海戦は、兵の数から見ても、オスマントルコがはるかに優っていた。

しかもオスマントルコは10歳くらいの体格の良い少年が、寮生活をしながら兵士として鍛え育てられていた。

一方、ドン・フアンは24歳。小回りの効くガレー船を主力とする最後の戦いといわれるのだが、勝利に貢献したのはガレアス船と呼ばれる大型の船。通常ガレアス船は、運動性が低く前後にしか発砲できないという欠点を持つが、ドン・フアン率いるキリスト教連合軍の所有するガレアス船は、360度に対して打ち込む事ができた。

湾に2列に並んだ敵と味方。風向きや、向きの変更のタイミングなどがオスマントルコを苦しめることとなった。しかもこの日、オスマントルコ軍の士気は少し弱っていた。そんなこともキリスト教連合軍には味方となりつつ、戦いは進む。そして、双方の指揮者が一つの船の上に居合わせ、戦い続けた。

そして、オスマントルコの指揮者であるアリ・パシャが首を切られ、キリスト教連合軍が勝利を手にした。

ドン・フアンが30歳の時(1577年)、やっと母親と再会することとなった。

1578年にドン・フアンが31歳という若さで亡くなるまで、チュニジア、オランダ、ベルギーと渡った。思い描いた幸せな生活に辿り着けなかったのは、きっと異母兄弟であるフェリペ2世が、最初はドン・フアンに協力的だったものの、成功者として嫉妬したからなのだろうか。

レーゲンスブルクの入り口とも言える、ドイツ最古の石橋と旧市街

レパントの海戦が勃発した10月7日は、カトリック教徒にとっても大切な日。「ロザリオの聖母」と呼ばれ、数珠のような珠を繰りながら祈る日として知られています。

ホテル・ゴールデネス・クロイツ https://www.hotel-goldeneskreuz.com

文・写真/吉村美佳(ドイツ在住ライター) レーゲンスブルク観光局公認ガイド。ドイツの文化、生活事情、料理全般やビールについて、BSフジ、朝日出版社などに執筆。「海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。」

 

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