7袖口 写真1

前回前々回と、上着の前合わせとフロントボタンについてご説明しましたが、今回は袖口のボタンについてお話ししましょう。

シングルブレステッドの上着の場合、第5回にまとめましたように、フロントボタンの数が少ないほうがよりドレッシーとされますが、袖口のボタンの数は逆に、数が多いほうがドレッシーで、数が少なくなるにしたがってカジュアルだとされています。

スーツの袖口は上の写真のようにボタン4個、ないし3個が基本。一方、スポーツジャケットはボタンの間隔をボタン1個分ほど離して2個つけるのが基本です。したがって、スポーツジャケットの一種であるブレザーは通常2個になっています。

ブレザーの袖ボタン。通常はメタルボタンを、間を開けて2個つける。

ブレザーの袖ボタン。通常はメタルボタンを、間を開けて2個つける。

最近では、袖口のボタンが見せかけではなく、本当に掛けたり外したりできる本開き(ほんあき、本切羽〈ほんせっぱ〉とも言います)が人気を集めています。

そもそもスーツや礼服、スポーツジャケットなどの上着の袖口には、なぜボタンがついているのでしょうか?

いろいろな説があり、おもしろいものでは、ナポレオン軍がロシア侵攻にあたって、兵士たちが袖口で鼻水をふくのやめさせるためにつけた、という説。さすがにこれは眉唾もののようです。

手元にある資料(A Complete Guide to English Cosutume Design and History COSUTUME 1066-1966)によると、13世紀ころには袖口のボタンが現われます。しかし、15世紀末にはまた見られなくなります。イギリスで衣服改革宣言が出され(1666年)、現代に続く紳士服の着装法が誕生した17世紀後半からは、装飾としてつけられたであろうと思われる袖口ボタンが出現し、いろいろなデザインの袖口が見られるようになりました。

なので、袖口のボタンは、王侯貴族や富裕層の人々が、飾りボタンで装飾を始めたことに由来するのではないか、という説がどうも信用できそうです。

そして、このころの袖口は縫い閉じられるものだったようです。

■袖口の本開き仕様はトイレの後に手を洗うため?

では、なぜ袖口のボタンが単なる飾りではなく、本当に開閉できるように仕立てられるようになったのでしょうか?

これは、かつては人前や仕事中に上衣を脱ぐことはなかったため、手を洗ったりする時に、ちょっとまくり上げることができるように、という考え方に端を発しています。

英国ではスーツの場合、4個あるいは3個つける袖ボタンのうち、袖口に近い2個を本開きにし、残りはダミー仕上げ(開けみせ)にします。スポーツジャケットの場合は、運動する時に本当に袖がまくり上げられるように、間隔を開けてつける袖ボタン2個とも本開きにするのが通例です。

一方、イタリアでも袖口の一番奥のボタンは伝統的にダミー仕立にするようです。

英国式の袖口。4個のボタンのうち2個が外せるようになっている。

英国式の袖口。4個のボタンのうち2個が外せるようになっている。

イタリア式の袖口。4個のボタンのうち3個が外せるようになっている。

イタリア式の袖口。4個のボタンのうち3個が外せるようになっている。

では、一番奥のボタン1個あるいは2個を本開きにせず、ダミーに仕上げているのはなぜでしょうか?

私がロンドンの洋服専門学校で教わったのは、以下のような理由でした。

昔は仕立ての良い洋服は、和服同様、親から子へ、子から孫へと代々譲り贈られていたものでした。形見分けという場合もあったでしょう。

その際、袖丈を長くしたければ、奥のボタンホールがダミーならば、袖口に近いほうにボタンを移動することによって袖丈を長くすることが可能です(袖丈を伸ばす長さによって、袖口ボタンの3個、ないしは4個すべてが本開きになります)。

しかし、最初から4個とも本開きだとしたら、ボタンを移動することはでません。それ以上ボタンを増設するわけにもいかないため、袖丈を直すことができないのです。

では、袖丈をつめる場合はどうするのでしょうか?

これはちょっと煩雑な作業にはなりますが、一度、身頃から袖を外して上の方でつめてから袖をつけ直すことになります。

ロンドンの専門学校時代、担任の先生からこのような説明を受けた時「上のほうで袖丈をつめてしまったら、格子柄などの場合、袖と身頃の柄が合わなくなってしまいますよね?」と質問したところ、「どうせ新品じゃないのだから、余り細かいことを言うな」と答えて彼はウィンクしてみせました(笑)。

本格的注文服はともかく、既成品では、一部本開き、一部ダミーにするという細かい作業はなかなかできないので、すべて本開きにするか、全部ダミーにするかのどちらかになっています。

こんなところにも既成品と注文服の違いが見えるようで、何となく寂しい気がいたします。

さて最近、袖ボタンの間隔が極端に詰められ、ボタン同志が重なり合っている袖口を見ることがあります。これは資料によると、19世紀の初頭、イタリア・ナポリのサルト(テーラー)、ヴィンチェンツォ・アットリーニが初めて考案したと言われる、いわゆる「ナポリ風袖口」と呼ばれるものであり、私が知る限りでは英国では見かけません。

ついでながらイタリアでは見掛けて、英国では見ない袖ボタンの話題をもうひとつ。

最近は既製服に至るまで「本開き」が普及したため、ちょっとしたブームになっているのが、あえて袖ボタンを外して着る着方です。袖口をちょっとまくり上げて手を洗い、その時、外した袖ボタンを掛け忘れた……という風情なのですが、その昔は既製服に本開きはありませんでしたから、「俺の洋服はビスポーク(注文服)」とさり気なく主張するには持ってこいでした。

私の知り合いで、いつも右袖ボタンを2個、左袖ボタンを1個外して着ているイタリア人がいます。その話をロンドン・サヴィルロウの某テーラーのカッターに話したところ、彼いわく「あれはトイレへ行ってボタンを掛け忘れたのと同じさ」。

さぁ、皆様はどちらの着方を支持なさいますでしょうか?
文/高橋 純(髙橋洋服店4代目店主)
1949年、東京・銀座生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本洋服専門学校を経て、1976年、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションのビスポーク・テーラリングコースを日本人として初めて卒業する。『髙橋洋服店』は明治20年代に創業した、銀座で最も古い注文紳士服店。

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