不妊の心労を救ってくれたのは同じ経験をした母親の言葉だった
凛子さんは結婚後も仕事を続けますが、結婚後すぐに夫婦の希望であった子作りもスタートさせます。しかしなかなか子供に恵まれなかったそうです。
「最初は避妊しなければ自然に妊娠すると思っていました。まだギリギリ20代でしたし。でも全然妊娠しなくて……。30代になり、仕事も大変だったので夫婦で話し合って私は仕事を辞めて、派遣で週3~4日で働くことにしました。プライベートの時間を多く作るようにしたんです。でも、やっぱりダメで。病院に通うようになり、お金はもちろんですが、妊娠が失敗する度に精神的に追い詰められてきましたね。希望と落胆で、感情の振れ幅もおかしくなってしまって。友人に子供ができる度に心から喜べなくなり、そんな感情を誰にも相談できなくて辛かったです」
そんな感情の変化に気づいてくれたのは母親だったそう。母親も長年子供が授からなかった当時の話をしてくれたと言います。
「やっぱりよく見てくれているなと。私は母親にも不妊治療のことを言えてなかったんです。孫を期待しているだろうから。でも、不妊治療で少し太ってしまったところや仕事をセーブしているところなどで気づかれてしまって。
そして、母親も中々子供ができなかった話をしてくれました。『自分の母親が孫を望んでいたことがプレッシャーになって辛かった。自分のことだけを考えて子供のことを考えればいい』と。私が勝手に親は孫を欲しがっていると思い込んでいただけで強要されたことは一度もなかった。わかってくれる人が身近にいると思うと心が少し軽くなりました」
その後、凛子さんは不妊治療を続け、40歳を機に治療をやめたと言います。「前までは未来がどうなるのかわからない不安もありましたが、今はさっぱりしています。夫婦2人で生きていく決意ができましたね。治療中は辛い時もたくさんあったけど、親身になってくれた母親にたくさん助けてもらいました。協力してくれていた旦那さんの前で愚痴れない分、母親に聞いてもらっていました。今までは不妊治療でお金がかかってしまったから、今からお金を少しずつ貯めて、旦那の家族とうちの家族での旅行を今計画しています。これからは子供がいないからこそできることをたくさんやりたいと思います」と語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。