文/印南敦史
定年後になにをするかについては、いろいろな選択肢があり、いろいろな考え方があるだろう。しかし、いずれにしても大切なのは、この機会に自分が本当にやりたかったことを見出し、なしとげるための時間として「定年」をとらえることである。
そして、そんな定年後の生き方の選択肢のひとつとして「起業」、すなわち事業をはじめることを提案しているのが、『「定年起業」の始め方』(植葉啓文著、ぱる出版)の著者。
サラリーマンをしながら(2006年時点)経営コンサルタントとしても活動し、商店街の活性化への提言やシルバービジネスの立ち上げ支援などを行なっているという人物である。
「起業」とは、会社をつくって独立開業する、という単純なことだけではない。個人事業や在宅ワーク、地域でのNPO活動などをふくめて、自分が本当にやりたいこと、なしとげたいことは何なのかについて、人生の円熟期を迎えた段階で改めて自分自身に問いかけ、自分にとっての本当の「業=ワザ」を見つけ出すこと、そしてそれを社会に問うことが、「定年起業」の本質だ。(本書3ページ「まえがき 〜会社員のいまのうちから、かるーく起業の準備を始めよう」より引用)
決意が求められるだけでなく、リスクがないとも言えないだけに「起業」は難しそうに思えるものだ。しかし、たしかにこのように考えることができれば、それを前向きに捉えることができるのかもしれない。
しかもインターネットの発達と普及とも相まって、「脱サラ」「一世一代の事業立ち上げ」といった重いイメージは消え、知恵と努力さえあれば誰にでも気軽に事業を立ち上げられる時代になったという。可能性が広がったのだ。
ただし、定年を迎えてから新たになにかを始めるのでは遅すぎるとも著者は指摘する。サラリーマン生活のころから、仕事を通じて多くのヒントやスキルを獲得し、人的なネットワークをつくっていてこそできるというわけだ。
しかし、それは決して難しいことではない。たとえば上司の無理難題も職場の人間関係も、取引先との商談折衝も、すべて自分にとっての「ケーススタディ(=練習問題)」ととらえればいいという考え方である。
大切なのは、それらを単に「処理」するのではなく、そこからなんでもいいから学び取ろうという姿勢。いわばそうした学びの延長に、起業の発想やスキル、ネットワークができてくるということだ。
そういう意味では、「定年起業」の準備は企業に入社した時点からスタートしているということになるのかもしれない。20代、30代、40代、50代と、それぞれの年代において「定年準備」があり、「起業準備」があるということ。
著者はそれを、年齢に関係のない、自分が本当にやりたいことを求め続ける、自分探しの旅だと表現している。
だから本書においても、そうした考え方に基づいて話が進められていくことになる。なかでも特に注目すべきは、第2章「現役サラリーマン時代に鍛える『起業脳』のつくり方」だ。
タイトルからも推測できるように、ここでは「“サラリーマン仕事”を極めても起業はできない」という考え方に基づき、「起業脳」と「サラリーマン脳」の違いをこと細かに解説しているのだ。
ちなみに著者によれば、「起業脳」とは、成功した起業家には独特の“世の中感覚”。
「起業脳」の人と「サラリーマン脳」の人とでは、まず「仕事」についての考え方が違うという。サラリーマン脳の人にとっての仕事とは、自分の意思とは無関係に割り当てられ、押しつけられ、処理するもの。起業脳の人にとっての仕事は、自分で見つけ、成し遂げて、楽しむものだという考え方だ。
「事業」についても、考え方はだいぶ異なる。サラリーマン脳の人は事業を「成立するかどうかを検討判断するもの」「ナンバーワンをめざすもの」ととらえるが、起業脳の人は「一度決めたらどんなことがあっても成立させるもの」「オンリーワンをめざすもの」としてとらえているという。
その他、「売上」「目標」「評価」「業績」についても両者の比較がなされているが、それら以上に注目に値するのは「収入(給与)」に関する考え方の違いだ。それを「業績や成果にかかわらず給付される『年金』だと考えるサラリーマン脳の人に対し、起業脳の人は「収入(給与)」をこうとらえていると著者は指摘するのだ。
(1) 自分のやったことだけに対する成果の現れ
(2)労力に対するギャラとして、自分の仕事を評価するめやす
(本書61ページの図「サラリーマン脳と起業脳の違い」より引用)
なるほど、こう考えれば起業に向けてのハードルはだいぶ低くなるかもしれない。極論を言えば、それは「冷静な判断能力を持つこと」「度胸があるかないかの違い」でもあるはずだ。
なお、そのことに関して本書では、ある創業支援セミナーにおける、自らも起業家であるという講師の言葉が引用されている。少し長いが、大切なことなのでご紹介しよう。
「独立起業を決意された方は、きっと何かが吹っ切れるのでしょう。その吹っ切れ感とは何か。創業や起業はもともとゼロからはじめて積み上げるもの、だからダメでも失うものはないし、やってみてダメだったらまたゼロから積み上げればいい、といった感覚です。
確かにサラリーマン生活に比べて不安は多い。独立して仕事をしていると取引先や顧問先の契約をいつ切られるかもわからない。でも切られたら切られたで、また探せば必ず新しいお客さんはいる、またゼロからはじめればいいだけのこと……こういう感じがつかめるのです。この感じがつかめるかどうかで吹っ切れる人とそうでない人が分かれ、それが起業できるかできないかの分岐点になるのです」(本書61〜62ページより引用)
これは、「起業」の本質であると著者は主張している。
「起業家」「ベンチャー」といった言葉には、かつて一斉を風靡した「IT長者」などをはじめとする独特の成功イメージがついてまわるかもしれない。しかし、この感覚があるかないかが、起業できるかどうかの違いであるということだ。
そして、それこそがまさに「起業脳」というべきもの。本書が「起業脳」の重要性を強調しているのも、そこに本質があるからにほからなないのだろう。
そうした考え方を軸として、「本当の自分の探し方」「定年起業の発想」「『社会起業=ソーシャルベンチャー』という選択肢について」「具体的にすべきアクション」「定年後の企業カレンダーづくり」と、以後はより具体的な話が進められていくことになる。
ところで、本書が発行されたのは2006年である。12年もの時を経ているわけだが、根底にあるものが普遍的な考え方であるせいか、いま読みなおしてもさほどの違和感はない。定年後をよりアクティブに生きていくために、参考にしてみてはいかがだろうか。
「定年起業」の始め方 植葉啓文著 ぱる出版
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。