
人の顔には、それぞれの人生が刻まれるといいます。若さや美しさという面では、どうあがいても年齢とともに輝きは失われ衰えるものです。しかし、年齢を重ねることによって得た経験や体験、修得した技能、そして鍛えられた精神が、その人の顔に滲み出てくるようになります。それは、まさに渋くて味わいのある「燻し銀の表情」ではないでしょうか?
それは、若い人には無い魅力となります。そうした方々が口にする言葉も、また味わいのあるモノで心に深く浸透するものであります。そうした先人が残した一つの言葉をご紹介します。
今回の座右の銘にしたい言葉は「終始一貫」 (しゅうしいっかん)です。
「終始一貫」の意味
「終始一貫」について、『デジタル⼤辞泉』(⼩学館)では、「態度・状態などが、始めから終わりまでずっと変わらないこと」とあります。「終始」は物事の始めと終わり。「一貫」は一つの方法や態度で貫くこと。これだけ聞くと、「一度決めたら変えない頑固さ」のように聞こえるかもしれませんね。
この言葉の本質は、状況が変わっても、根底にある「志」や「誠実さ」が変わらないという点にあります。時代が変わり、立場が変わっても、人間としての「核」となる部分がブレない。その潔さこそが「終始一貫」の美しさです。
若い頃は、ただがむしゃらに続けることが「一貫」だと思いがちです。しかし、酸いも甘いも噛み分けた私たちシニア世代にとっての「終始一貫」は、柔軟性を持ちながらも、大切な信念だけは決して譲らない、という「大人の品格」を表す言葉なのです。
「終始一貫」の由来
「終始一貫」は、諸説ありますが、中国の歴史書『漢書・王莽伝』にある「公は其の終始を包ね、一以て之を貫く」という一文に由来するとされています。ただしこの故事に即していえば、その一貫性は「いい方向」ではなく、「独善的で現実を見ない偽善的な姿勢」に向けられたもの、という否定的なニュアンスが含まれています。いずれにせよ、人の生き方や態度が、最初から最後まで筋が通っていることを意味します。
「貫」(かん)という漢字自体にも面白い由来があります。
昔のお金(穴の開いた銭)を紐で束ねた単位を「貫」といいました。バラバラになりそうな銭を、一本の紐でしっかりと束ねておく。そこから「貫く」「つなぎ止める」という意味が生まれたといわれています。
人生には、様々な出来事という「銭」があります。成功もあれば失敗もある。喜びもあれば悲しみもある。それらは一見バラバラな出来事に見えますが、それらを一本の「信念」という紐で束ねて、一つの物語にする。それが「終始一貫」という言葉の持つ、本来のイメージなのかもしれません。

「終始一貫」を座右の銘としてスピーチするなら
「終始一貫」を座右の銘としてスピーチする際には、単なる頑固さや融通の利かなさと混同されないよう注意が必要です。以下に「終始一貫」を取り入れたスピーチの例をあげます。
定年退職での送別会で披露するスピーチ例
私の座右の銘は「終始一貫」です。入社した当時と現在とでは、仕事の進め方も、使っているツールも、社会の常識さえも劇的に変化しました。若い皆さんの柔軟な発想やデジタルのスピード感に、正直、ついていくのがやっとだと感じることもありました。
しかし、どんなに時代が変わっても、私が一つだけ変えなかったこと、貫き通してきたことがあります。それは、「目の前の仕事の向こう側にいる、お客様の笑顔を想像すること」です。
新人の頃、上司に叱られながら覚えた仕事も、管理職として決断を迫られた大きなプロジェクトも、その根底にあったのは常に「これは誰かの役に立っているか」という問いかけでした。不器用で、時には「頑固だ」とご迷惑をおかけしたこともあったかもしれません。ですが、この想いを「終始一貫」できたことこそが、私の職業人としての誇りであり、今日まで走り続けられた原動力です。
明日からは立場が変わりますが、一人の人間として、この「誠実であること」という精神は、これからの第二の人生でも終始一貫して持ち続けていきたいと思っております。
最後に
変化の激しい現代社会だからこそ、変わらない価値観を持つことの大切さが見直されています。しかし、それは頑なさとは違います。柔軟に対応しながらも、自分の核となる部分は守り通す。そんな成熟した姿勢こそが、真の「終始一貫」なのではないでしょうか。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com











