
今の時代、サライ世代にとって「生きやすい世の中か?」と問われたら、決して「生きやすい」とは答えられないように思います。それどころか、次第に「生き辛さ」が増しているようにも感じられます。その理由の一つが、社会通念の変化ではなかろうか、と思うのです。
それは、親や先輩、師と仰いだ人たちから指導を受け、身につけた「常識」が大きく変移しているからではないでしょうか? 別の言い方をするならば、社会を円滑に生きるための「世渡りの術」が、機能しなくなってしまった感じがいたします。
しかし、私たちが大きな変移と感じていることも、百年、二百年という単位で見れば、意外と小さな変化なのかもしれません。そのことは、今を生きる人々へ影響を与え続ける先人たちの名言や金言が物語っているように思います。 今回の座右の銘にしたい言葉は「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏(も)らさず」です。
「天網恢恢疎にして漏らさず」の意味
「天網恢恢疎にして漏らさず」について、『デジタル⼤辞泉』(小学館)では、「天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ」とあります。「天網」とは天が張る網、つまり天の裁きや天の正義を表します。「恢恢」は広大であること。「疎」は目が粗いこと。そして「漏らさず」は、一人も逃さないという意味です。
簡単に言えば、「悪いことをすれば、必ずその報いを受ける」という、因果応報の教えですね。私たち日本人には馴染み深い「お天道様は見ている」という感覚に、非常に近いものがあります。
「天網恢恢疎にして漏らさず」の由来
この言葉の出典は、中国の古典『老子』第七十三章です。原文では「天網恢恢、疎而不失」(てんもうかいかい、そにしてしっせず)となっています。日本では「漏らさず」という表現が一般的になりましたが、「失せず」も「逃さず」も本質的には同じ意味を持ちます。
老子の思想の根幹には、「無為自然」という考え方があります。これは、人間が小賢しい知恵を働かせるのではなく、万物を生かす天の道、つまり自然の法則に身を任せるのがいい、という思想です。
この思想から「天網恢恢」を解釈すると、人間が作った法律や罰則といった細かい網がなくとも、この世界にはもっと大きな「天の網」という名の法則(摂理)が働いている。そして、その法則からは誰も逃れることはできない、という壮大な世界観が背景にあるのです。
興味深いのは、この言葉が2500年以上も前に生まれたにもかかわらず、現代においてもその真理が色褪せていないことです。むしろ、情報化社会となり、様々な不正や隠蔽が表面化する今の時代だからこそ、この言葉の持つ重みが増しているともいえるでしょう。

「天網恢恢疎にして漏らさず」を座右の銘としてスピーチするなら
この言葉は決して他人を戒めるためのものではありません。「あなたの悪事は天が見ている」と人を脅すような使い方は、本来の意味から外れてしまいます。
むしろ、自分自身への戒めとして、また、正直に生きることの尊さを伝える言葉として用いることが大切です。以下に「天網恢恢疎にして漏らさず」を取り入れたスピーチの例をあげます。
自分に誠実に生きることを伝えるスピーチ例
私の座右の銘は「天網恢恢疎にして漏らさず」です。少し難しい言葉ですが、「お天道様は見ているよ」ということです。
正直に申しますと、20代、30代の頃の私は、この言葉が好きではありませんでした。むしろ、世の中は不公平で、要領のいい人間が得をするものだとさえ感じておりました。真面目にやっても誰も見てくれない、と腐りかけたことも一度や二度ではありません。
あるプロジェクトで、私は地味で目立たない、誰の評価にも繋がらないようなデータ整理の仕事を任されたことがありました。ふて腐れながらも、他にやることもなく、ただ黙々とその作業を続けておりました。しかし数年後、会社が大きな危機に陥った時、その地道なデータが会社を救う重要な鍵となったのです。当時の上司が、後になって「あの時、君が腐らずにやってくれたおかげだ。誰も見ていないと思っただろうが、私はずっと見ていたよ」と声をかけてくれました。
その時、「天の網」というのは、誰か特定の一人の目ではないのかもしれない、自分が誠実に物事に向き合うその姿勢そのものが、見えない網の目を一つ一つ、自分で編んでいるようなものなのだと気づきました。そして、その誠実さの網は、いつか必ず自分自身を助けてくれるのだと信じています。
最後に
この言葉は、悪事を働いた者への厳しい警告であると同時に、人知れず努力を重ね、誠実に生きる人々への、この上なく温かい肯定の言葉でもあります。社会の理不尽さも、人の心の温かさも知るサライ世代の皆様だからこそ、この言葉の持つ本当の重みと、そして優しさを感じ取ることができるのではないでしょうか。
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com










