両親から見て私は子どもではなく、弟を育てる一員だった
美冬さんがビジネス系の専門学校を卒業する少し前に実家のお店は経営悪化に伴い閉店を余儀なくされてしまう。専門学校を卒業した後にはお店を手伝えと言われていた美冬さんは複雑な心境だったと語る。
「親から高校を卒業してすぐにお店を手伝えと言われていたんですが、私は嫌で説得して簿記や経営を学べる学校に進学しました。家のお店を手伝うまで2年間の猶予を貰えたような気持ちでしたね。
でも、お店は潰れてしまった。私は茫然と無気力になっている両親を見て、複雑な心境になりました。お店を手伝わないで済んだという気持ちと、お店を失ってしまった両親に同情する気持ちと、一緒に悲しめない罪悪感が混じっている感じでした」
その後に就職活動をして、周囲よりもかなり出遅れたが無事に飲食チェーン店を展開する企業に就職を決めた。その際に家を出たかったが、それも両親から阻止されたという。
「『家が大変な時期だから、家を助けてほしい』と頼まれました。家には借金が残ったんです。両親はすぐに別のお店で働き始めたので、弟はまだ小学生だったから一緒に面倒を見ろということなんだと理解しました」
美冬さんが両親から逃げるために選んだものとは。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
