大江千里(おおえのちさと)は、平安時代初期の学者・歌人で、在原業平(ありわらのなりひら)、在原行平(ありわらのゆきひら)の甥にあたります。彼は和歌だけでなく漢詩に非常に造詣が深く、「文章博士」(もんじょうはかせ)の官位を持ちました。漢詩句を題材に和歌を詠んだ『句題和歌』(くだいわか)を宇多天皇に献上し、日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』の先駆けと言われています。
さらに、藤原範兼(ふじわらののりかね)が選んだ和歌の名人「中古三十六歌仙」に、清少納言らとともに名を連ねています。多くの漢文作品を残しながら、百人一首にも採られたこの歌が知られていますが、歌人としてよりは学問的側面が強い人物です。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
大江千里の百人一首「月みれば~」の全文と現代語訳
月みれば 千々(ちぢ)に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど
【現代語訳】
秋の月を眺めていると、あれこれと数えきれないほど物事が悲しく感じられることだよ。この美しい秋が、私一人のためにやって来たわけではないのだけれど。
『小倉百人一首』23番、『古今和歌集』193番に収められています。この歌の最大の魅力は、下の句の「我が身ひとつの秋にはあらねど」にあります。
上の句「月みれば 千々に物こそ 悲しけれ」で、作者はまず自分の心の内を吐露します。「千々に」とは心が千々に乱れるように、数えきれないほどの悲しみが湧き上がってくる、という意味です。これは非常に個人的な感傷ですね。
しかし、歌はそこで終わりません。
「この美しい月も、物悲しい秋も、世界中の誰もが同じように享受している。私一人のためにあるのではない」
そう気づいた瞬間、彼の個人的な悲しみは、ふっと普遍的なものへと昇華されます。寂しさを感じているのは自分だけではない。この空の下、同じ月を見上げ、同じように物悲しさを感じている人がいるかもしれない。
この共感と連帯の感覚こそが、この歌に奥行きを与え、私たちの心を優しく包み込むのです。孤独を感じながらも、その孤独は自分だけのものではないと知る。そこに、かすかな救いと慰めが生まれるのではないでしょうか。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
大江千里が詠んだ有名な和歌は?
大江千里が詠んだ他の歌を紹介します。

照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の 朧月夜(おぼろづきよ)に しくものぞなき
【現代語訳】
(月が)明るく照るわけでもなく、かといってすっかり曇ってしまったわけでもない、春の夜の朧月夜。これほど趣深いものはない。
「月みれば~」の歌が秋の澄んだ月であったのに対し、こちらは春霞のかかった、ほのかに滲むような月を詠んでいます。白黒はっきりしない、曖昧で幻想的な美しさを見事に捉えています。
『源氏物語』で朧月夜が「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでいる場面がありますが、この歌が元になっています。千里自身は『白氏文集』の詩を題材にしたといわれています。
大江千里、ゆかりの地
大江千里の具体的な邸宅跡などは明確には残っていませんが、大江氏は代々、京都の市中に居を構えていました。平安京の左京、現在の京都市中京区から上京区にかけてのエリアに、学者として朝廷に仕えた一族の屋敷があったと考えられています。嵐山の亀山地区には大江千里の歌碑があります。
最後に
「月みれば~」は秋の月を通じて心の揺れや物哀しさを静かに深く表現した大江千里の傑作です。「悲しいのは、私一人ではない」この気づきは、千年後の現代を生きる私たちにとっても、深い慰めとなります。
悩みや寂しさを抱えたとき、ふと夜空を見上げてみてください。同じ月を見上げている誰かが、どこかにいる。そう思うだけで、少しだけ心が軽くなるかもしれません。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











