親の都合に振り回され、関わりを断った
不満がありつつも、祥太郎さんは実家に住み続けた。しかし、弟が無職になって3年後に家から出ろと親から言われたという。
「父方の祖母が体調不良から1人暮らしをできなくなって、うちの実家で同居することになったんです。そうしたら、部屋がないからと、両親は私に1人暮らしをしろと言いました。本当にいいように扱われていますよね。そのときの感情は、やっと離れられるというホッとした気持ちと、寂しい気持ちがありました」
そこから、実家との交流は、自らの意思でなくしたと振り返る。
「1人暮らしを始めてみると、実家で暮らしていたよりも家族以外の人との交流が盛んになって、それが楽しくて、家族のことを思い出さなくなりました。母親からはたまに連絡がありましたが、顔を見なければ断ることは簡単でした。たまに仕送りという名のお金の無心もありましたが、1人暮らしでお金がいるという理由で断っていました。母親には私を家から追い出したという負い目があったのか、強くは言ってきませんでしたね」
祥太郎さんは29歳のときに結婚するも、自分の両親へは挨拶だけにして、結婚式も行わなかった。今までのわだかまりをなくしたい思いから、結婚の挨拶をする前に両親と3人で会う機会を設けたという。そこで今までの不満を両親に伝えたが、これが縁を断つきっかけとなってしまった。
「弟と差別されていたこと、それに不満を持っていたことを、結婚相手を紹介したいと両親に言うタイミングで一緒に伝えたのです。実家だと弟や祖母がいるので、実家近くのお店に両親を呼び出しました。このときに少しでも悪かったと言ってくれたら、今までのことを水に流して、妻も含めて交流を再開しようと思っていました。
でも、結果は『差別はしていない。きょうだいは比べるものじゃない』と言われました。あんなに比べて差別してきたのに、です。そのときは何も親に反論することなくそのまま帰ったのですが、後日妻を連れて会ったその帰りに、両親に『もう関わってこないでくれ』と言いました」
兄が親と絶縁している間、弟は1人で耐えていた。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
