「最後の肩書きは“課長代理”。ええとこの大学を出たのにね」
地方支社では、横領を手助けした社員ではなく、「横領した社員」とみなされ、無視をされたり、必要な書類が回ってこなかったりしたこともあった。
「重要な会議の連絡が僕だけ来なかったこともありました。嫌がらせを受けても、流していれば、やがて止む。相手にするから、攻撃されるんです。それは大阪から東京に転校してきたときに学びました。ひたすらすべきことを行なっていれば、やがて僕のことを認めるようになる」
その後、地方支店で実績を残し、本社に戻る。そして、60歳で定年を迎えた。
「最後の肩書きは、“課長代理”。ええとこの大学を出て、経営陣に入ることを目指したのに、窓際族のまま、60歳で定年を迎えました。再雇用にあたり人事に呼ばれて提示されたのが、孫会社にあたる関連会社の平社員。何の仕事も与えられないことは、部署名からして分かった。会社は横領でメンツを潰されている。でも、僕が横領していないこともわかっている。だから、仕事をやるだけありがたいと思えという部署が提示されたのでしょう。向こうが辞退を望んでいることはわかりましたし、僕も意地を張るのに疲れましたので、退職しました」
再雇用の場合、部署は選べない。人事の言われた通りの部署で65歳までを過ごさなければならない。
「イエスマンでそつがなく、愛想のいい奴が、やりがいある部署に再雇用されるんですよ。あと、私大卒の意外な伏兵が役員になっていました。そこでわかったのは、日本の組織で上に上がるのは、滅私奉公が脊髄反射で行えて、ゴルフができて、女性にモテない男ってこと。日本の組織は、今も途方もないほど男の社会です。そしてこの社会は嫉妬でできていますからね」
恒弘さんは、涼しげな雰囲気をまとっており、女性にモテる。
「そのことで、嫌味を言われたこともありました。若い頃に選り好みをしてしまい、結局、一度も結婚できませんでした。モテていいことなんてないんです。でもね、男ってバカだから、どこかに僕の子供がいるんじゃないか、“お父さん”ってきてくれるんじゃないかという夢をちょっと考えることもあるんですよ。そんなことは絶対にないのにね」
定年後はびっくりするほどすることがなくなったという。そこで、母が残した財産の一部を使い、世界一周の旅をすることに。ヨーロッパを巡ったところで、コロナ禍に遭い帰国。その後、日本と行きつ戻りつして、4年かけて世界を巡った。
「自分が若い頃に関わっていた、途上国の橋や道路を見るのが目的でした。現地で日本人だとわかると感謝されることもあり、僕の仕事や人生は間違っていなかったと。最後は人のために生きること。これが幸せなんだと思います」
インドにある父が生活していた村に行くことは考えもしなかったという。色々巡り、魅力を感じたのは中国だった。そこで現在、東京の語学教室に通い、北京語を勉強している。
「すごくパワフルで惹きつけられた。常に現地ガイドを雇い、車移動という旅だったのですが、中国は自力で巡ってみたいと思い、勉強し始めたんです。語学学校に行って良かったのは、いろんな人と出会えて、自分の世界の狭さを学べたこと。半年くらい通っていると、同じクラス同士の交流もできる。そこで知り合った、地方出身の大学生に頼まれ、その子の実家が経営している和菓子屋さんのECサイトを作る手伝いをしています」
誰かの役に立てるという喜びはあり、一つの仕事から世界は広がる。恒弘さんは「僕みたいに無趣味な人は、定年後に旅をするといいですよ」という。旅の刺激は多くの気づきをもたらす。そこから生まれる営みを広げることが、生きている実感や喜びにつながっていくのかもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。
