ランドセルと身の回りのものを持って追い出される

知識が見せてくれる新しい世界を知った母と、現状維持を尊ぶ父は衝突する。

「母は父が常連客に提供する“おまけ”にもコストがかかっていると言い、両親は衝突するようになりました。母が金にうるさくなると、店主である父が店の金を持ち出すようになる。険悪な空気は客足を遠のかせ、父はそれを母が原価計算をしているせいにした。その言い争いの果てに、父は母を殴った。母も気が強いですから、その日のうちに出て行くことになったんです」

父は「俺が稼いだ金で買ったものだ、全部置いて行け」と言った。

「その声を無視して、母は下着などの身の回りのものをバッグに詰めた。それを見て、僕は慌ててランドセルを取りに行ったんです。弟はボーッとしていた。あれが運命の分かれ道でした。すごく寒い冬の夜で、母は“心配するな”と言い、当時できたばかりの大阪のビルにあるホテルに入っていったんです。チェックインカウンターで手続きをする母は美しくてカッコ良かった」

母41歳、恒弘さん11歳のことだった。初めてのホテル宿泊は、別世界のような心地よさと安心感で「ビルを作る仕事がしたい」と母に言った。母は「あんたならできる」と断言する。

「翌日、東京行きの新幹線に乗ると、東京駅である男性が待っていた。今思えば母の彼氏ですよ。彼の口利きで、田無のアパートを借りることができました。そして母はその夜から新宿のキャバレーで働くことに。母は週5日勤務で、夕方に出て終電で家に帰ってきます。留守番をする僕を、近所の人が気にかけ、面倒を見てくれました。東京は優しい街だと思いました。大阪だったら、陰口を叩かれていたと思う」

転校した小学校では、関西弁で自己紹介して大笑いされてしまう。初動で友人ができないと孤立するのが子供社会だ。恒弘さんは、勉強の道を突き進む。

「中学3年間は勉強して、当然のようにトップの高校に行き、理工系の国立大学に進学しました。そして、大手建築会社に就職。僕は希望していたリゾート開発のセクションに配属になり、猛烈に働きました」

恒弘さんが大学を出るころには、客あしらいがよく美貌の母はひと財産を築いていた。

「キャバレーの経営者にも気に入られ、マネジメント的な立場に立っていました。僕が43歳のときに、母は78歳で亡くなったのですが、株や不動産も含めると、億単位の遺産がありました。母の葬式で、33年ぶりに弟に会ったんです。弟は親父の再婚相手にいじめられ、悲惨な人生を歩んでいた。父は離婚後に店をたたみ、どこかの雇われになりましたが失敗。結局、外国人と結婚してインドにいき、日本の国民年金で十分な生活をして、幸せに生きていると言っていました。人生、何があるかわからないものです」

父は、その後、80代前半にインドで生涯を終え、現地で埋葬された。弟がその後始末をしに現地に飛んだという。

「弟は独身ですし、母の遺産で人生をやり直していましたから、そのくらいのことはできる余裕がありました。僕はその頃、すごく大変だった。というのも、40代前半のときに、上司の横領を手助けしてしまったことを挽回するために、必死だったから。会社員は上司で運命が左右される。これが60歳定年後の再雇用にも絡んでくるんですよ」

【証拠隠滅のために、書類をシュレッダーにかけたことで、連帯責任に問われた……その2に続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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