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「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。
2025年は、団塊の世代の全員が後期高齢者になる年だ。超高齢化時代が到来し、「介護難民」「介護崩壊」といった単語も目につく。また、給付金の不正請求や人手不足などで介護サービスを運営する企業が倒産するニュースも目にする。
東京都内の自宅で息子(43歳)と孫(15歳)と男3人で暮らしている洋治さん(73歳)は「胃がんで余命半年と言われたけど、もう3年も生きている。これは家で息子と孫と生活しているからかもしれない」という。
自宅で妻を看取るために、会社を辞めた
洋治さんは70歳の時、海外勤務から一時帰国していた息子に検査に連れて行かれて、がんが判明した。
「息子からは検査に行けと言われていたんですけれど、面倒でね。若い頃から“病気”と名がつくものはかかったことがない。入院だってしたことがないし、薬も飲んだことがない。コロナ過の間も外で仕事をしたり、みんなで食事をしたりしていたけれど、かからなかった。健康に自信があるし、そもそも病院が大嫌いですから」
洋治さんは高専卒業後、大手自動車部品メーカーに就職し56歳まで勤務したが、末期がんの妻の介護と看取りのために会社を辞めた。
「30歳の時に、“できちゃった婚”した5歳年上の奥さんが62歳で亡くなりました。彼女は痛みに強く、我慢強い人だから乳がんを放っておいてしまったんでしょう。すると、みるみる悪化し、気づけば全身に転移してしまっていたんです。当時、多くの病院で、延命治療重視という医療方針が取られていたように思います。患者側も“ウチの家族を生かしてほしい”と考える人が多かったんじゃないかな」
妻のがんは進行していたが、抗がん剤治療を3クール行ったという。それでもがん細胞は消滅しなかった。ふっくらしていた体つきは半分ほどになり、抗がん剤の副作用で皮膚は赤黒く乾いたようになっていた。そこまで弱っているのに、医者は「抗がん剤をもう1クール頑張りませんか」と提案してきた。
「勝気な奥さんの顔色が変わった。それで2人になった時に、奥さんの肩を抱き寄せたら“もう痛いのも苦しいのも嫌だよ”と、私の手を取って泣くんです。ウチの奥さんは若い頃からアクセサリーの個人輸入会社をやっていて、外国人に英語で怒鳴り散らすほど気が強い。夫婦げんかも絶対に折れない奥さんが弱音をはいている。それほど抗がん剤治療が辛かったんだと思い、涙が出ました」
抱き寄せた肩は、骨ばっていた。
「あと、病気になるとオーラがなくなる。その原因の一つは、見た目が変わることだと思います。奥さんは、おしゃれが大好きだった。それなのに、髪が抜けて、病院服を着ているでしょ。鏡を見るたびに辛い思いをしているんだろうと思った。あの華やかな人にとって、どんなにそれが苦しいことだろうと。僕が“家に帰る?”と言うと“あなたに迷惑がかかる”と泣く。“迷惑”という言葉が出た時は、“家に帰りたい”ってことなんだというのは、30年近くの夫婦生活でよく分かっている。そこで、お医者さんに相談したら、在宅医療の提携先のお医者さんを紹介してくれて、退院することになった」
それを聞いた息子は、「お母さんに最後まで頑張ってほしい」と言ったので、洋治さんは「お前に治療の辛さがわかるか!」と怒鳴りつけたという。
【自宅に到着したら、妻は玄関で泣き崩れた…次のページに続きます】
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