「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。
2024年12月に公開され、現在も上映中の映画『大きな家』が話題だ。この作品は、ある東京の児童養護施設で生活する子供たちの日常を追っている。今後、DVD化や配信は一切行われず、映画館のみで上映される。スクリーンでは子供たちの顔や声は加工されることなく、率直に本音を語っている。企画・プロデュースしたのは俳優・齊藤工さん。監督は竹林亮さんだ。
全国児童養護施設協議会によると、全国に約600の施設があり、1歳から18歳までの保護者と一緒に暮らせない子供たちが共同生活を送っている。その背景には子供の数だけ複雑な事情がある。
東京都内で一人暮らしをしている瑞江さん(77歳)は「今、50歳の息子が2歳のとき、半年間児童養護施設に預けたことがありました。息子が今、児童養護施設への寄付や支援活動をしていることで、過去を許されたような気持ちになっています」と語る。
戦後の混乱の中、両親は亡くなり2歳で孤児になる
瑞江さんは、「私の人生は、他人には言えないことだらけ」と上手に化粧をした顔で微笑む。昨年まで繁華街でスナックを経営していたが、膝と腰の痛みが激しくなり、「このままでは歩けなくなる」と医師に言われ、店を閉めた。
「店を持ってから30年間、大晦日も正月も、日曜日も1日も休まずに開け続けたから、体にガタがきたんでしょうね。“1日でも休んだら、終わりだ”と思っていたから、病気一つしたことありません。友達もいないし、趣味もないから旅行に行ったこともない」
30年間、ずっと気を張っていたから、病気らしい病気になったことがなく、入院もしたことがないという。
「コロナ禍の前に白内障の手術をしたけれど、朝一番でやってもらって、すぐに店を開けました。そこまでしたのは、“金が稼げなくなる恐怖”があったから。あと、お客さんも楽しみに通ってくださっていましたから」
体が丈夫なのは、戦後の混乱が残る昭和22(1947)年に生まれたことも一つの理由だと考えている。
「モノがないから、雑菌だらけのところで育ったでしょ? 私の家は東京の下町にあったのだけれど、父は私が生まれる前に喧嘩に巻き込まれて死んでしまい、母は私が2歳のときに病気で亡くなった。親の記憶はないけれど、丈夫に産んでもらってありがとうと言いたい」
2歳の瑞江さんは、寺に預けられた後、4歳ごろから千葉で旅館を経営している遠い親戚の家で育てられたという。小学校5年生までの記憶はほとんどない。
「子守りと家事、旅館の仕事の連続で、辛いから忘れちゃったんでしょうね。もちろん無給です。中学校を出てから、東京に戻りたいと紹介してもらったお寿司屋さんで、住み込みで働いていました。私を可愛がってくれたある中居さんから“瑞江は身を守るために、パンツは3枚重ね、ズボンをはいて汚い格好をしなさい”と教えられてその通りにしていたのですが、17歳の娘盛りになると、きれいな格好をしたくなる。そうしてしまったら、まあいろんなことがありました。セクハラ以上のこともありましたよ」
18歳のとき、勤務していた寿司屋さん夫婦が夜逃げをする。その後、夜の街で働き始めた。20歳のときに25歳年上の男性と同棲し、5年後にその男性が詐欺罪で逮捕された。再び夜の街に戻ったが、1年もしないうちに20歳年上の客の男性と関係を持ち、27歳で息子を産む。
「父親の面影を求めるのか、年上の男性じゃないとダメなのよ。当然、そういう人は結婚している。彼に妊娠したことを報告すると、地獄に堕ちたような顔をされました。彼には子供がいないから、産んであげようと思ったのですが、“堕ろしてくれ”の一点張り。彼の奥さんは寝込んでしまう。彼は社会的地位があったので、誰かに襲われて、お腹を殴られたら終わりだと、出産までホステス時代の友達の家に置いてもらったのです」
【夜の街の飲食店で、出産直前まで働く…次のページに続きます】