取材・文/坂口鈴香

写真はイメージです

若年性認知症当事者と家族のためのカフェ

ある平日の昼下がり、首都圏にある「認知症カフェ」に50代くらいの男性が初めて訪れていた。ボランティアだろうか。それとも介護関係の専門職? そう思ってしまうほど、男性は足取りもしっかりしているし、身なりもこざっぱりしている。口数は少ないが、居心地は悪くなさそうだ。静かに着席している。

カフェの専門職スタッフが男性のそばによって、少しずつ話を聞いていた。

「お母さんが、市役所からここを紹介されて……」

男性の話をよく聞くと、「お母さん」というのは、男性の母親ではなくて奥さんのようだ。どうも、カフェの入り口までは妻が付き添い、後は一人で、と送り出されたようだった。「そういえば数日前、若年性認知症と診断された夫のことを相談しに来ていた女性がいたが、その夫というのがこの男性らしい」とスタッフは話し合った。

この「認知症カフェ」は、若年性認知症当事者と家族のための居場所だ。月に1回開かれていて、地域の専門職やボランティアが寄り添い、認知症の人や家族を支援する。

カフェの代表者は松坂かおりさん(仮名・45)。介護の専門職ではないという。カフェの途中でお子さんを幼稚園に迎えに行き、その後はお子さんもカフェに参加。スタッフの間ではマスコット的存在だ。失礼ながら、松坂さんには認知症カフェの代表という強い存在感はない。お子さん同様、ただここにいるだけ、というような雰囲気なのが少し不思議だった。

だから、松坂さんがこの認知症カフェの代表になった経緯を聞いてみて納得できた気がした。

50代の母に異変が。妹弟は認めなかった

このとき、松坂さんは母親を1週間前に亡くしたばかりだった。それを聞いて、一瞬言葉につまり、それからお悔みを伝えると、松坂さんは静かな笑みをたたえて「大丈夫ですよ」と言ってくれた。

「看取り期だとお医者さまに言われてからは、覚悟ができていたので……」

そう言えるまでには、母娘の長い道のりがあった。

「母は41歳のときに父が突然死して以来、幼い私と妹、弟を抱えて働きづめの人生でした」

父親は職人だったので、退職金も年金もない。当時、松坂さんは12歳、弟はまだ5歳。専業主婦だった母親はパートを二つ掛け持ちし、朝から夜遅くまで働いていたという。

「母はそのころから『私は60で死ぬからいいのよ』と言っていましたが、その齢で母は若年性認知症と診断されたんです」

――母の異変は50代半ばにははじまっていた。

「そのころ私は結婚したのですが、結婚式のときに着付けをしてくれた美容師さんに『心づけを渡して』と頼んでいたんです。それが『話ができなくて渡せなかった』と言って、持ち帰ってきました。これまでの母だったら、話せなくても誰かにことづけていたと思います。そのころの写真を見返すと、バッグのなかを一生懸命に探している姿がありました。不安だったのではないかと思います」

こんなこともあった。

「当時母は寮のまかないの仕事をしていたんですが、衛生面には人一倍気を遣っていました。潔癖症とも言えるくらいです。それが、家の台所の排水溝を、皿洗い用のスポンジで洗っていたんです。驚きました。仕事中もそんなことをしているんじゃないかとゾッとしたのを覚えています」

精神的にも不安定になっていたようで、母親の同僚から「病院で診てもらった方がいいのではないか」と指摘された。しかし、母親と同居していた妹弟は、母親とは生活する時間帯が違うこともあって、母親の異変を認めようとはしなかった。

「『そんなにおかしくない。精神科なんかに行かせるのはお母さんがかわいそう』と言われてしまいました。私は幼いころから母子家庭の長女としていろんなものを抱えていました。弟や妹が認めてくれないのに、私一人では母を支えられない……そう思ってしまい、病院に連れて行けませんでした。母が病院を受診したのは、それから1年後です。私はついて行きませんでした」

母親は更年期うつと診断された。薬を飲みはじめて数か月後、松坂さんに担当医から電話がかかってきた。「アリセプトを飲ませます」と。

不審に思い、調べてみると、それは認知症の薬だった。

「お医者さまに話を聞きに行くと、母は認知症だと言われました。それで母の内科のかかりつけ医に相談すると、『私はずっとお母さんを診ているからわかります。認知症ではありません』と言うのです」

2人の医師は互いに「連絡を取ります」と言っていたが、約束は果たされないままだった。

看取り期の母。妹弟と意見が合わず、点滴で命をつなぐことに葛藤した【2】につづく。

取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

 

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