高校から母親はご飯を作ってくれなくなった
中学生になる頃には親に頼る気持ちはなくなっていたと凛子さんは振り返る。友人にきょうだいが多い子がおり、その子よりマシだと思うようにしていた。
「その子の家はきょうだいが多いからなのか貧乏で、私以上に何も買ってもらえてなかったんです。その子の着ていた制服や体操服、普段着もすべて上のきょうだいからのお古で、ちゃんと新品を買ってもらえている私は恵まれている、だから大丈夫だと思い込んでいました」
高校生になると凛子さんは学校で禁止されていたアルバイトを始める。「自分のお金で好きなものを買うことはとても楽しかった」が、好きなものを自分で買うことにも親は嫌味や小言を言ってきたという。
「アルバイトは学校が終わってからだったので帰る時間が遅くなることも多くて、バイト先で賄いを食べて帰っていたんです。夜遅くに晩御飯を用意しなくて済むから母親も楽だろうなって思っていたんですが、母親はそれを自分の作ったご飯が嫌で食べないと捉えたようで、バイトがないときもご飯を作ってくれなくなりました。だから自分用のご飯をバイト代で買って帰っていたんですが、そうしたら『1人だけいいものを食べて。本当に何もしてくれない子』と言われましたね。私は悲しいというよりもそんな母親の発言にイライラするようになって、高校時代はロクに口も聞かなくなりました」
父親ともあまり顔を合わせていなかったが、母親よりはマシだという認識が凛子さんの中にあった。大学に進学したいという思いは父親に伝え、認めてもらったという。
「父親は必要だと思うものにはお金をかけてくれる人でした。私は父親への直談判の前にその大学について調べ、なぜこの学校に行きたいか、何を勉強したいかの意見を紙にまとめ、暗記しました。父を前にするととても緊張したことを覚えています。
私は大学の4年間で必死に勉強をして、大学に来ていた求人にインターン制度を利用して就職を決めました。早く自立したい思いが強くて、就職が決まったときはホッとしましたね」
弱った母親を見ても、感情が邪魔をして優しくできない。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。
