妻には感謝をしている
光昭さんは神奈川県横浜市で生まれ育ち、県立高校から都内の名門大学に進学する。
「体育会系の部活をやっていて、大手ゼネコンに就職した。でも水が合わずに、3年目の時に保険会社に転職。そこで妻に出会った。短大卒で一般職だった妻のことをみんな狙っていた。彼女は垢ぬけており、雑誌や小さな広告などにも登場していた。今で言う“読者モデル”だったんだろうね。おそらく高嶺の花だった。何度もデートに誘って、やっとOKしてもらい、彼女が25歳、私が28歳のときに結婚した」
彼女は光昭さんが初めてではなかった。
「当時は、貞操観念のようなものが残っていた。恋人は遊んでいる人がいいけれど、妻はそうではない人がよかった。ウチの妻も、まさか初めてではないと思ったけれど、本当に初めてではないんだと。他の男性と比べられているような気がした。結婚してから、口が軽い同僚が、『あの子は奔放だったんだよ』と、妻のいろんな噂を吹き込んできた。あのときの悔しさと、口が軽い男達への復讐の気持ちがあったから、がむしゃらに結果を出していけた。最初から“面白くない気持ち”があったけれど、妻も家族も大切にしていた」
30歳の長男は、英国の名門大学に留学し、国際結婚をしてロンドンに住んでいる。28歳の長女は、専門学校卒業後、美容師になり大手サロンに勤務しているという。
「子供たちからも、妻からも尊敬されていたと思う。手を上げたこともないし、ケンカもなく『パパ』と大切に扱われていた」
【35年間、理想的な家庭の中心だった妻。同窓会をきっかけに、疑い始めると、終わりがない彼女への疑惑……~その2~に続きます】