「お父さん、元気にしてる?」
妻の死から伸彦さんはアルバイトの美容師を時々しながら、登山サークルに入ったり、ボランティア活動をしたりしていた。
「家に誰もいないことが寂しい。2か月ほど、妻の骨と位牌と写真に語りかけて、毎日晩酌していました。気持ちが滅入るから、地域の掲示板を見て、登山や歌のサークルに入ったり、地域清掃のボランティア活動を始めた。老人っぽくてダサいことはしたくないと思いましたが、一人でいると死が見えるんですよ。だから無理やり外に出ていました」
持ち家も財産もある。生活には困らないので、一人で旅行をしたこともあったが、すぐにやめた。
「本当につまらない。僕は一人が向いていない。かといって、ガールフレンドや友達と行くのも億劫なんですよ。だから、誘われるまま山登り。それも体力的にキツくなってきた65歳のときに、息子から連絡があったんです」
息子のことは、妻の妹からマメに連絡があり、息子のSNSをこっそり見て、生存を確認していたという。
「イタリアやフランスに行っていることは知っていて、お金が足りなくなったら送ってやろうくらいに思っていたんです。ただ、こっちも意地があるから、絶対に連絡はしたくなかった。“お父さん、元気にしてる?”と電話がかかってきた。カミさんが亡くなってから6年も経つと、こっちの気持ちも落ち着いている。親子って不思議なもので、あれだけわだかまりがあっても、声を聞くとすぐに関係が元に戻るんですよ」
息子はレストラン運営会社の社員になって、メニュー開発などを行っていた。「結婚するから会ってほしい人がいる」と言った。
「電話で“お母さんが僕と結婚した30歳で、お前も結婚するのか。縁だな”と伝えると、“そうだね”と答えてくれた。てっきり僕は“お母さんの人生と、俺の人生は別物だ”と反発されることを予想していたんですよ。それなのに、すんなりと受け入れたというか、聞き流したというか。それがすごく心にしみたんです。親のさりげない一言に“そうだね”と返事することは、親にとってはすごく満たされること。すぐにできる親孝行だよね。もう、僕は両親の言うことになんでも反論していた。両親はとっくに亡くなってしまったけれど、もっと認めてあげればよかった」
それから10年付かず離れずの親子関係を維持している。現在、息子は関西に住んでおり、伸彦さんに「いつでも電話してきてよ」と何度も念を押し、毎週、電話をくれるという。
「LINEは面倒くさいのよ。そういうこともわかっていて、“電話していいよ”と言ってくれる。だからこっちも、どっかに行ったこと、昔住んでいた家が壊されることなど、なんでも気軽に電話できる。今、なんでもネットになって、いろんなサービスが消えているけれど、相手の声を聞く電話はなくならないでほしいな」
伸彦さんの発言に対して「そうだね」と息子が受け取るのは、信頼関係があるからだ。伸彦さんが自分の人生を誠実に生きてきた。おそらく息子はそこに敬意を払っているのだろう。親と子は圧倒的に親が経験を重ねている。そこに子供の経験が追いつき、人間同士、対等になる瞬間を互いに感じることもまた、親孝行なのかもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。