定年後に旅に行き続け、2年で400万円使う
康史さんは定年後、それまでにできなかった旅行に行き続けたという。
「ちょうどコロナだったから、特に定年セレモニーなどもなく、会社をお暇できた。それですぐに旅に出たんです。とはいえ、渡航規制があったので、国内ばかりでした。カミさんを誘ったら、“一人で行ってこい”と言う。カミさんは家が好きなんだって。それで、九州を2週間かけて1周したり、京都に10日間滞在して奈良や和歌山まで足を伸ばしたり。あのときは宿泊費もびっくりするほど安くて、日本という国を堪能しました」
渡航制限が明けてからは、メキシコ、オランダ、スペインなどに行った。
「幼い頃、図鑑で見て気になっていたところに行こうと思ったんです。まずはメキシコで大きなサボテンとセノーテ(天然の井戸)を見て、オランダの風車と街並みを堪能し、スペインではガウディの建築を見た。もう少し渡航制限が早く明けてたら、ロシアにも行けたんですけれどね。心ゆくまで旅を満喫できたのは、60歳の体力と行動力があったから。65歳まで定年延長していては、これはできなかった」
エジプトのピラミッド、トルコのカッパドキアも行った。
「旅行費は全部で400万円くらい。どんなに頑張ってもその程度しか使えないんですよ。それに僕はケチだから、貯めたマイルを使ったり、安い宿とかを選んでしまう。というのも、一人旅だといい宿に泊まっても楽しくないですからね。眺めがいいホテルとか、リッチなリゾートホテルというのは、カミさんや子供達の喜ぶ顔が見られるから行く意味がある。一人でそんなところに行っても、本を読むくらいしかすることがない」
そのときに、「これまで自分が仕事を続けてきたのは、誰かの喜ぶ顔を見るためだ」と気づいたという。
「それは僕の40年の肯定にもつながりました。それまで、就職先を食品会社にしたのは、食べ物に困らないための保険をかけたかったからだと思っていました。でも旅でそうではないとわかった。僕の会社の商品を食べた人が、幸せになる風景が見たくて、仕事をしていたのだと腹に落ちたんです」
旅に満足した康史さんは、仕事を始めることにした。妻はまだ現役で働いているので、分担していた家事の全てを康史さんが引き受け、家庭に支障がない程度のアルバイトに出ることにしたのだという。
「高齢者向けの食事配食の宅配です。週に3回、貸し出される3輪バイクに乗って、夕方の時間帯に1日50件程度を配る仕事です。積み込みに1時間弱、配達に2時間程度だから、3時間程度のバイトです。10万円くらいにはなるだろうと、給料を見てびっくり。5万円も切っている。休みも取りにくいので、2か月でやめました」
今は、惣菜店の厨房で週に2〜3回働いている。
「昔とった杵柄で、衛生管理の工夫をしたりして、社長から重宝されていますよ。材料選び、味の向上などのアドバイスをしていて、その分のお金もいただいています。こういう“仕事で得た知識”が、別の人の役に立てるというのもいいもの。フルタイムで仕事をするのは億劫だけど、時々働くのは楽しいですよ」
勇気を出して応募して、面接を受けることが大切なのだという。不採用であっても人格を否定されるわけではない。そこをしっかりと切り分けて、仕事の世界に入ると、得るものは大きい。
【弁当を宅配していた高齢者が孤独死をしたことで意識が変わる……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。