取材・文/柿川鮎子
大人気の「獣医学博士に聞いた!」シリーズは「世界一わかりやすい」と評判のペットの東洋医学について、むつあい動物病院院長・獣医学博士・国際中医師の金井修一郎先生に教えていただいています。前回(【獣医学博士に聞いた!】世界一わかりやすい「ペットの漢方薬」基礎の基礎 https://serai.jp/living/1187161)は、漢方の基本と、服用する際の注意点などについて学びました。今回はさらに詳しく、実際の症状と、それに使う薬について解説していただきましょう。
漢方薬を使う病気について
――前回の解説によると、西洋薬は単一成分のものが多くて、炎症を抑える時に使うなど、使用目的が決まっていました。一方、漢方薬とは何種類かの生薬から構成される合剤で、多成分の物質で出来ていると学びました。そうすると、例えば頭痛とか胃痛とか、症状が一つであっても出される薬は異なるのでしょうか? 私と先生では、出す漢方の頭痛薬や胃薬などは、違ってきますか?
金井先生 漢方薬には“頭痛薬”、“胃薬”というような、はっきりとした分類はありません。もちろん、頭痛でよく使う漢方薬、胃痛でよく使う漢方薬というものはあります。
最初に、私自身が以前処方された「六君子湯(りっくんしとう)」を例に説明してみましょう。大学の動物病院と夜間病院を掛け持ちして不規則な生活を送っていた30代の頃、よく胃が痛くなりました。薬局の胃腸薬で改善しなかったので、漢方も扱う胃腸科で胃の痛み、疲れ、食欲がないことを訴えたところ「六君子湯」が処方され、服用したところ、数日で改善しました。
「これはとても胃の痛みによく効く薬だ」と思い、残っていた「六君子湯」を食べ過ぎの胃痛の際に飲んでみたのですが、改善しませんでした。
「六君子湯」は胃痛、消化不良、食欲不振などで使用する有名な漢方薬で、ペットにもよく用います。この漢方薬は補気健脾(ほきけんぴ:消化吸収機能を高め、元気をつける)、利水(りすい:水の巡りを改善する)、理気・化痰(りき・かたん:気を巡らせて、つかえを取る)などの作用をもつ生薬によって、構成されています。
ペットの東洋医学では病名を特定せず現在のペットの状態を考える
金井先生 「六君子湯」が適応となるのは気虚(ききょ:冷え症・体力低下)、痰湿(たんしつ:水が溜まる)の胃痛です。また、胃痛ではなくても気虚の食欲不振には適応します。これを、「異病同治」と言います。
逆に同じ胃痛の症状でも、元気は十分ある、陰虚(水分不足)などの例では「六君子湯」は適応せず、違う漢方薬を使います。これを「同病異治」と言います。異病同治と同病異治については後程、もう少し詳しく解説しましょう。
頭痛や胃痛という症状がある場合、その状態を引き起こした背景は何なのかを考えることは、医学の西洋・東洋を問わず重要です。
西洋医学的診療では必要があれば血液、レントゲン、エコー、CT、MRIなど様々な科学的な検査を用いて原因を探ります。対症療法として頭痛薬といわれる鎮痛剤の処方、検査により炎症反応があれば消炎剤、感染の疑いがあれば抗生物質、高度な検査によって脳腫瘍、胃がんなどといった腫瘍の診断がつけば外科的治療などと、治療方針を立てていくと思います。きちんと原因が特定されれば、的確で効果的な治療が期待できます。
東洋医学的診療では以前お話した四診(表1)を駆使して、主訴(頭痛、胃痛といった患者さんの訴え)に関連することはもちろん、それ以外の部分、その個人全体の状態をみていきます。
目を使って動き、表情、舌の色などを見る → 望診
鼻・耳を使って匂いや発する音を確認する → 聞診
口・耳を使って話を聴く → 問診
手を使って身体を触る → 切診
西洋医学のように“病名”を特定するというより、“証(しょう)”とよばれる現在のその個人の状態を考えます。そのため西洋医学的には原因があまりはっきりしない病態でも、治療法、養生法が提案できるのです。このことが、東洋医学的診療が期待されている点の一つです。
さらに四診から八綱弁証(表2)を行い、表・裏、熱・寒、虚・実、陽・陰の状況を考えます。
・病位が体表面(表)なのか、身体の深部(裏)まで入り込んでしまったのか
・冷えている(寒)のか、逆に熱がこもっている(熱)のか
・弱って不足している(虚)のか、流れが悪く滞っている(実)のか
と分類して考えていきます。
異病同治と同病異治とは何か
金井先生 先程、異病同治と同病異治という話が出ました。ここでもう少し詳しく、わかりやすく解説してみましょう。
<異病同治とは>
異なる病気でも治療が同じになることを異病同治と言いますが、一見関連がなさそうな病状なのに同じ漢方薬が処方されることがあります。
頭痛と胃痛といった全然違う症状でも、その“証”が何かが滞っている“実証”の状態で、例えば“気滞“と診断されれば、“気滞“を改善する理気作用がある漢方が処方されます。何かが不足している“虚証”が原因の頭痛、胃痛で“気虚”と診断されれば、“気虚”を改善する補気作用がある漢方が処方されます。
――面白いですね! 頭痛と胃痛なんてまったく違う症状なのに、同じ漢方薬が処方されることがあるのですね。
金井先生 その通りです。次に、
<同病異治>とは
ですが、同じ病気でも治療が異なることを、同病異治と言います。
同じ頭痛、胃痛でも症状、原因により治療が異なるもので、前述のように西洋医学的診療でも検査結果によって処方の違いは起こりますが、東洋医学的診療では同じような症状でも、患者さんの“証”、個々の体力や病勢によって処方される漢方薬が異なってきます。
ただし、人間は症状を訴えることができますが、ペットは自分で「頭が痛い」とか「胃が痛い」とは言ってくれません。ただ、いつもは触っても気にしないのに、ある場所を触ると怒る、鳴くなどの場合、その部分が痛いのではないかと推測することは出来ます。その為にも日頃からペットとのスキンシップを取って、病気の早期発見、早期治療をしていきましょう。
代表的な症状と具体的な処方例
――スキンシップが病気の予防になるとは、嬉しいですね。では次に、症状に応じた具体的な漢方薬の使用例について、解説してください。先生の病院で、実際にペットの病気に処方される漢方を、何例かあげていただけますか?
金井先生 ペットに漢方が有効なケースはたくさんあります。もちろん人の漢方治療と同様に、何でも漢方で「劇的に改善される」といったことではありません。
以前から申し上げておりますように、“証”というその子の状態を把握して、それに適した漢方を、適した量、適した期間処方することが大前提です。これが「東洋医学はオーダーメイドのような治療」だと、よく言われるゆえんです。
今回は、ペットにおいて日常よく見られる胃腸の不調、元気や体力低下の際に用いるものについて、簡単に解説しましょう。
胃腸の不調、体力低下
→六君子湯(りっくんしとう)
私自身の体験例としても前述しましたが、胃腸の基礎的な力が弱り、吐き気や水液の滞りがある状態、すなわち“気虚”と“痰湿”に適応します。さらに気うつな症状が強い例では、芳香性の健胃薬がプラスされた「香砂六君子湯(こうしゃりっくんしとう)」もよく用います。
「六君子湯」は、人の機能性ディスペプシア(消化不良)における有効性に関する論文などが多く、科学的にも有効性が示されています。
ストレス性消化器症状
→四逆散(しぎゃくさん)
ストレスや過緊張で胃腸の動きが悪くなっているケース、お腹が張ってイライラしている“気滞”に適応します。
ストレスにより肝機能や脂質代謝が低下している犬での有効例について、投与により肝酵素などの異常値が改善された例が、地方獣医師会の学術大会でも報告されています。
体力低下、軟便
→補中益気湯(ほちゅうえっきとう)
疲労倦怠感があり、下痢、頭がフラフラするなど、身体の上の方にエネルギーが運べないような状態の時に用います。
“気虚”で疲れていてお腹が下り気味の時に適応し、下がったものを持ち上げる昇提(しょうてい)作用と呼ばれるものがあります。「補中益気湯」もたいへん有名な処方で、特に新型コロナウイルス感染症流行時には、免疫力を高める有効性に期待が高まり、入手困難になりました。
体力低下、冷え
→十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)
体力の低下と共に血の不足が見られるケース、“気虚”とさらに“血虚”があれば適応します。
ただ元気がなくてお腹が緩いなら上記の「補中益気湯」、さらに身体が冷え、舌や歯茎が白い感じであれば、「十全大補湯」が良いかもしれません。人用ですがシロップタイプのものがあり、小型犬や猫にも与えやすいです。
また、こちらは犬に使用した論文(イヌにおける十全大補湯による抗がん剤の副作用軽減効果の検討 https://www.jstage.jst.go.jp/article/toxpt/46.1/0/46.1_O-9/_article/-char/ja/)があり、抗がん剤による胃腸運動の抑制を低減したことが示されております。
老化、冷え
→八味地黄丸(はちみじおうがん)
加齢に伴う老化の諸症状と共に冷えが強い“気虚”、“陽虚”、むくみや浮腫、尿路の問題などがあるケースに適します。
こちらはドラッグストアで瓶タイプのものがよく販売されており、中高齢の方の夜間尿などに使われます。ペットでも身体を温める基本薬として用います。
老化、ほてり
→六味地黄丸(ろくみじおうがん)
上記の「八味地黄丸」から、身体を温める作用を持つ“附子(ぶし:トリカブト)”、“桂皮(けいひ:シナモン)”という生薬を取り除いたものです。したがって、加齢に伴う老化の諸症状と共に潤いが不足し、乾燥、ほてり、暑がりで疲れやすい“陰虚”に適応します。
老化、しびれ
→牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)
「八味地黄丸」に“牛膝(ごしつ:イノコヅチ)”、“車前子(しゃぜんし:オオバコ)”という生薬を加えて鎮痛、利尿促進作用を強化したものです。浮腫が強く、四肢のしびれ・痛みがあるケースでは、こちらが有効です。
注意したいのは、上記の3剤(八味地黄丸、六味地黄丸、牛車腎気丸)には“地黄”という補血、強壮作用がある生薬が入っておりますが、胃腸に負担がかかることがあります。胃腸が弱いペットの場合は慎重に投与し、消化器症状が出るようでしたら、獣医師にご相談ください。
今回は比較的有名で、ペットでもよく使用する漢方薬を紹介しました。多くの人用の漢方薬がペットでも有効利用できますが、人とそれぞれの動物種の代謝系には違いがありますので、注意が必要です。
――確かに、美味しいネギ類が、犬にとってはNG食品であることは、有名ですね。
金井先生 人には大丈夫でもペットには危険な食べ物として、チョコレート、タマネギ、ブドウ、アボガドなどは有名ですね。もちろんこれらの食べ物は漢方薬には含まれておりません。しかし、ペットへの毒性があるユリ、キキョウなどの植物は、一部の漢方薬に含まれています。
人用の漢方薬をペットに用いる場合は、配合生薬や過去のペットでの使用報告に注意しながら、処方しています。
私が所属している日本ペット中医学研究会推奨の漢方サプリメント(https://j-pcm.com/about/products/)もよく使用しますが、こちらはペット用に開発されているため安全性は高く、処方しやすいです。全国の日本ペット中医学研究会会員病院(https://j-pcm.com/memberlist/)で“証”に応じた漢方サプリメント使用の相談が可能ですので、興味のある方はお問い合わせください。
“証”から判断して漢方薬を処方しても、効果の発現は個々により異なります。漢方の配合を変更するのか、量を変えるのかは、個々の反応を見ながら考えますので、漢方薬の処方・調節ができる獣医師に相談することをおすすめします。
――ペットによく用いられる代表的な漢方薬について、とても分かりやすく解説していただきました! これらのケース別に見ると、漢方がどの症状にどう効くのかよくわかります。ただこれらは、ある程度の症状が明らかな場合の使用例かと思います。以前うかがった、未病と呼ばれる病気の前の状態にも、漢方などの東洋医学的な治療、養生を使うと聞きました。どんな未病にどう効果があるのか、次回はその点について教えてください。金井先生、ありがとうございました!
むつあい動物病院院長
獣医師、博士(獣医学)、国際中医師
金井修一郎さん
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取材・文/柿川鮎子 明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。