取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたことや、親について、そして夫や妻、子どもについて思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。
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文部科学省が発表した「令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によると、不登校の児童生徒数は、小学校では105,112人、中学校では193,936人となっており、ともに前年度を上回っている(前年・小学校81,498人、中学校163,442人)。
次いで、NPO法人キーデザインが発表した「子どもの不登校が親の仕事や家計にどう影響を与えるのか」をテーマにしたアンケート調査(実施日:2024年2月16日~20日、有効回答数:子どもの不登校に悩む保護者向け無料LINE相談窓口の利用者375人、インターネット調査)によると、保護者の仕事への影響に関する質問に、「退職した」と回答した親は14.8%、「休職した」と回答した親は6.0%となり、あわせると5人に1人が仕事から離れる決断をしていることがわかった。
今回お話を伺った友美さん(仮名・40歳)は、自分の不登校のせいで家族が離ればなれになってしまったという。
学校は行くことが当たり前だと思っていた
友美さんは両親と3歳上の兄との4人家族。友美さんの家は年に一度家族旅行に出かけたり、月に一度は家族揃って食事に行くような普通の家族だった。父親の仕事関係で幼稚園や小学校の頃は引っ越しが多かったが、それも高学年の頃には落ち着いていた。
「物心がつく前から家は引っ越しばかりをしていて、私も幼稚園は1回、小学校は2回転校していました。引っ越しは毎回寂しくて、友人たちと離れるのが嫌でしたね。最終的には途切れてしまうんですが、何度も手紙のやりとりをしていた友人もいました。そのぐらい、小学校の頃までは友人関係はうまくいっていました」
そんな友美さんがいじめられるようになったのは中学生のとき。小学校のときに不仲になった子と同じクラスになり、その子が周囲を味方につけたことで友美さんは1人になった。それでも友美さんは学校に行き続けたという。
「1人ぼっちは辛かったんですが、他に何もされなかったので、学校には行き続けました。親に心配をかけたくない思いもありましたけど、学校は行かなければいけないものという認識があったので。学校に行かないという選択肢はありませんでした」
無視に動じる様子がないように見えた友美さんに対して、いじめはエスカレートしていった。物を隠されたり、みんなの前で名指しで非難されるようになる。
「一番ひどかったのは、体操服のゼッケンがはぎ取られて、そのゼッケンに汚い言葉の落書きをされていたこと。そして、ジャージも脇や股間の部分を切られていたことです。ゼッケンにはクラスと名前を記載しなければいけなかったのですが、それがないと体育の先生に注意されました。ジャージの切られていたところは動くことで切り口が広がっていくから、思うように体育で体が動かせなくなりました。その場で先生に言うと余計いじめがエスカレートするだけだと思い、先生の注意に対して謝るしかできませんでした。
お小遣いで新しいゼッケンを買って、深夜に親に見つからないように、親の字を真似て書いて、縫いつける作業中はいつも悔し泣きをしていました」
【「学校を休んでもいい」と母親に言われて、元気になれた。次ページに続きます】