取材・文/ふじのあやこ

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。

厚生労働省が令和2年(対象:中学2年生・高校2年生)、令和3年(対象:小学6年生・大学3年生)に行った「ヤングケアラーの実態に関する調査研究」によると、世話をしている家族が「いる」と回答したのは小学6年生で6.5%、中学2年生で5.7%、高校2年生で4.1%、大学3年生で6.2%という結果になった。中学2年生では17人に1人が世話をしている家族がいるという状況である。

ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どものことを指す。今回お話を伺った、優紀さん(仮名・47歳)もその1人。高校時代から祖母の世話が始まり、今は母親の世話を担っている。

母の意向と伯父との仲違いがあり、祖母は早々にわが家に来ることになった

優紀さんは京都府出身で、両親と4歳下に弟のいる4人家族。両親は優紀さんが小さい頃から不仲だった。中学の頃から父親は単身赴任となり、家にはずっと父親がいない状況だったと振り返る。

「父は、いないことが当たり前でした。父の転勤が決まったとき、私は中学1年で弟は小学生、母親はパート勤務だったので父についていくこともできたはずなのに、当然のように父親は一人で家を出て行き、私たちは父がいないといういつもの生活を続けるだけでした。

両親は離婚はしていないけれど、父は転勤先の関東で病気になり、側にいた女性がずっと看病をして、そのまま関東で亡くなりました。葬儀で見た父親は、私が想像していた父とはまったくの別人でした」

優紀さんの母親は2人きょうだいの長女。兄がいるものの、兄の妻と優紀さんの祖母との折り合いが悪く、優紀さんの母親が定期的に祖母と一緒に暮らして様子を見ていたという。

「祖母の家は私たちの家から車で20分くらいのところでした。祖父は私がまだ記憶が残っていないときに病気で亡くなっており、ずっと祖母は一人暮らしをしていました。祖母自身はまだ一人暮らしを続けたいという思いがあったのですが、一度祖母が家で転んでしまったり、ちょっと注意力が散漫なところが目立ってきたので、母親がそれを心配して、定期的に私たちの家で暮らすことになったんです。両方の意思をくみ取って、月の半分ずつみたいな感じで、祖母は自分の家と私たちの家で暮らすことになりました。本当なら、祖母の様子を見る場所に伯父の家も入る予定だったんですけど、伯父の妻が嫌がって。親族での集まりでもあの人(伯父の妻)はずっと感じが悪かったので、嫌がることは想定内でした。でも、伯父が母親よりも自分の妻を選んだことにはびっくりしましたね。そこから伯父家族とも疎遠になりました。祖母の葬儀でしか会っていないです」

【祖母を家で一人にしないため、犠牲になったのは私。次ページに続きます】

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