住み込みの家政婦の仕事は、天国だった
おじさんの家で2日過ごした後、連れて行かれた新しい職場は、千葉県だった。大きな工場を経営する一族の家で、急遽、お手伝いさんを探しているという。そこで、住み込みで働くことになった。
「旦那様と奥様、3歳、5歳、7歳の子供さんが3人いる家の身の回りの世話をする仕事です。新潟でも家事や子守りは慣れていたので頑張って働きましたよ。仕事は朝5時から夜6時くらいまで。3回の食事の支度、掃除、買い物、洗濯などで、仕事がない時は休んでいてもよく、天国のようでした。それでいて、月給は2万5000円。お蕎麦屋さんの2倍以上になってびっくりしました」
当時はある程度裕福な家には、住み込みのお手伝いさんがいたという。
「近くには、会社の役員の家があり、そこで働くお手伝いさんと世間話をするのも楽しかった。何よりも、千葉ののどかな風景が、故郷に似ていたんです。田んぼや畑があって。生まれて初めてホッとできる時間でした。風景は似ていますが、私が育った環境とはあまりにも別世界でした。5歳のお嬢様はワンピースを着て、革靴を履いて帽子をかぶり、車に乗ってピアノを習いに出かける。7歳のおぼっちゃまのところには、東京から外国人の英会話の先生が来る。“同じ子供でもこんなに違うんだ”と思いました」
とはいえ、それをうらやましいとは思わなかったという。なぜなら、別世界の住人だからだ。代々裕福な資本家一家と、新潟県出身の貧しい家の娘である花江さんとの間には、超えがたい壁があった。
「私が住んでいるのは、家の隅っこにある“女中部屋”と呼ばれる4畳半。同じ食卓で食事はしませんし、お風呂は2日に1回、皆様が入浴した後、いただいていました。それが当たり前なんです。差別されているという意識はなく、自ずとそうなってしまうのです」
花江さんは主人一家に気に入られていた。夜間高校への進学を勧められたり、花道や書道の手ほどきも受けた。また、料理や家計のやりくりの仕方なども教えてもらったという。しかし、18歳の時に体に異変が起こり、退職することになる。
「妊娠したんです。相手は20歳年上の植木職人で、私がこの家に来たときから、いろいろ優しくしてくれて。私も父親がいないから、年上の男性に弱い。そのうちに男女の仲になり妊娠し、お屋敷を去ることになりました」
親しくなったきっかけは、敷地内になっている梅の実を取り、梅干しにするための作業をしているときだったという。
「私の背中に毛虫がついて、それを取ってくれたんです。昔、“ビビビっと来る”って言葉が流行ったでしょ。あれです。私の妊娠は、“はしたなく、みっともないこと”という扱いでしたよ。面と向かっては言いませんけれど、空気が伝わってくるんです」
花江さんが「お暇をさせて欲しい」と伝えると、家の主人も妻も残念がってくれた。特に妻は「あなたのことがお嫁さんに欲しいって人もいたのよ。こんなことなら早く、嫁がせるんだったわ」と言っていたという。
「そのときに、恩を仇で返してしまったと。習い事や教えてくれたことは、すべて、社員に嫁がせるためだったんだとハッとしたんです。ご主人一族が経営している工場は、男性の工員が多く、経営者や上司という立場の人は、若手社員のためにお嫁さん探しをしなければならなかったんですよね。当時は“結婚して一人前”という時代ですから。私の前任の住み込みの家政婦さんも、15歳から20歳までこの家で働き、社員のところに嫁いだそうです」
社員と結婚した家政婦さんには相応の退職金が出すのが慣例だったが、勤務たった2年で植木職人と「みっともないまね」をした花江さんには、びた一文支払われなかった。
【結婚した夫は事故に遭い酒浸りになってしまう……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。