“もっとこうしたかった”の後悔をする前に
家族は全員無事だった。その状況がわかったのは電話がつながった翌日だった。
「すぐに実家の電話や父親の携帯などに電話しましたが、まったくつながりません。何度も電話をかけてもよくないと思い、ただ震える手で携帯を握りしめることしかできませんでした。その日はお店の割れたグラスなどの掃除だけして、お店を開くことなく帰宅しました。お店と家は徒歩圏内だったので帰宅難民にはならなかったんですが、家についてからもずっと起きていました。テレビに映る被害状況は途中から見ることができませんでしたね。
家族の状況がわかったのは翌日。姉が公衆電話から電話をかけてきてくれて、全員無事だって教えてくれました」
自宅は一部損壊となり、慣れない避難所生活で電気がない不自由な状況となっていた。そこからはちゃんと会えて無事を目で確認するまで、家族のことが頭から離れなかったという。
「『親は私に冷たかった』『姉のほうがかわいい』など親と一緒に暮らしていたときにずっとあった思いはなくなりました。亡くなっている人が多くて不謹慎かもしれませんが、生きていてくれたことでこれからも会えるんだってことがただうれしくて。
家族に会えたのは震災から約3週間後。東京からの新幹線はまだ乗れなくて、臨時の高速バスがあったんですが、予約がいっぱいで全然とれなかったんです。それに『家族は無事なのだからもっと必要としている人に譲るべき』という父親の言葉もあって」
震災後のボランティア活動をきっかけに姉は福祉関係の仕事に就き、母親もボランティアとしてたまに地域活動に参加している。加奈子さんは飲食店経営の男性と結婚。そして、夫婦2人で地元に戻り、現在は実家の近くで生活している。加奈子さんは「震災が起こったときに感じた後悔を二度としたくない」という。生死にかかわることが起こったとき、自分が持つわだかまりの小ささに気づく人も多い。しかし、生死がかかわるときに気づくのでは遅いことが多いことも知っておくべきだろう。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。