長女は思春期に心の不調を抱え、父として寄り添った
義親さんの妻は次女を溺愛した。親からの愛情の質量がきょうだい間であからさまに違うと、なんらかの問題を抱えることもある。
「あれは長女が高校受験のころ、みるみる痩せていって、どうしたかと思っていたら、ガリガリになってしまった。妻が病院に連れていくと、拒食症だという。しばらくすると、今度は食べることが止まらなくなってしまった。長女と話ができるのは私だけだと思い、早めに帰宅したときには、“一緒に本屋に行こう”と誘い、好きな本をなんでも買ってやりました」
長女が好きなのは19世紀のロンドンを扱った作品だった。都市伝説、切り裂きジャックなどの猟奇事件を扱った本が多かった。
「私もそれらの世界を知ろうと図書館で本を借りて勉強した。共通の話題ができると、話もしやすい。あれもそれなりに楽しい時間でした」
父が寄り添ったことで、長女はどんどん強くなっていった。第一希望の高校、大学と進学し、自立の道を歩み始めた。
「一方で、いつまでも親がかりで甘ったれていたのが次女。勉強もイマイチでしたし、友達は多いけれど、どこまで本当の友達だか不明です。とにかく妻とは仲がよく、買い物や旅行によく出掛けていました。近所の人から一卵性母娘と言われていたんです」
長女は大学卒業後、実家を出て独立したが、次女はいつまでもいた。妻は文句を言いつつも、内心は嬉々として次女の世話を焼いた。仕事もIT関連会社や化粧品会社など転職を繰り返し、準社員のような立場だったが、給料は悪くなかった。次女は休みも取りやすかったので、妻とは国内外の旅行を楽しんでいた。
「妻は次女がいるといつも笑顔でした。ケンカもするんですが楽しそうなんですよ。ああいう日々が親孝行なんでしょうね。家庭が円満であることは、何よりの幸せ。次女が病で倒れるまで、ウチに不幸は何ひとつとしてなかったんです」
次女は大学卒業後も都内の実家におり、負荷の軽い仕事を続け、妻と旅行や買い物を楽しんでいた。どこにも苦労の影がない。
「そうなんですよ。一方、長女は苦労と努力をしたと思います。大学卒業後、大手食品メーカーに就職し、責任ある仕事を続けながら20代で結婚し、2人の子供を育てつつ、管理職試験も合格しましたから。過労で倒れたこともあったようです。それでも、妻に対して遠慮があったのか、“子供の面倒を見てほしい”とはあまり言いませんでした。同じ会社に勤務する婿さんと力を合わせて、子育てに取り組んでいた。私も現役で仕事をしていたので、さほど役には立てませんでしたが、長女が出張するときなどは妻と一緒に孫2人の面倒を見に行っていました」
孫は、格別に可愛らしいという。生まれてすぐも可愛いが、成長するにつれて、自分の面影を幼い子供の姿にみつけると、幸せを感じた。
「長女の親孝行は、孫を産んでくれたこともあります。しかも私の待望の男の子が2人です。我が家は大した家ではありませんが、“ウチの血が受け継がれていくんだ”という実感があると、これまでの自分の人生を肯定できる。あれは経験しないとわからない充足感です。妻も孫には目がないようで、次女と同じくらい可愛がっていました」
【「ちょっとだるいかもしれない」と病院に行ったら、即入院に……その2に続きます】