「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。では親孝行とは何だろうか。一般的に旅行や食事に連れて行くことなどと言われているが、本当に親はそれを求めているのだろうか。
ここでは家族の問題を取材し続けるライター沢木文が、子供を持つ60〜70代にインタビューし、現代の親子関係と、親孝行について紹介していく。
自分が親孝行したいと思ったことはない
埼玉県内で一人暮らしをしている和夫さん(73歳)には、40歳の息子がいる。和夫さんは高校卒業後、大手金融関連会社に就職。学歴が高卒のままだと、昇進ができないことに気づき、有名大学の夜間学部を卒業する。そして部長職までになり定年退職した。
「とにかく出世がしたかったんです。人を押しのけ、足を引っ張ってでも上に行きたい。ベビーブームの時代に生まれたこともあるでしょうし、4人きょうだいの真ん中で、兄や姉を出し抜かないと、ご飯が食べられなかったこともあるかもしれません」
会社員になったのも、青果店を経営していた両親の生活が常に苦しかったからだという。
「親は常にお金がなくて、ケンカばかりしていましたから。そのくせ、子供ばかり4人も作るんですよ。父も母もイライラすると、僕たちに手を上げる。戦争を知っている世代で、特に父は東京大空襲を経験している。そのことについては、一切口にしなかったから、きっと地獄を見たんでしょうね。そういう人は、どこかに狂気を宿しているというか、父が貧乏ゆすりを始めると、三男の僕は危険を感じてそっと外に出る。要領が悪い兄が殴られていました」
母親も似たり寄ったりの性格だったという。母の温かさや優しさは皆無だった。
「大福とか饅頭とか、よそから美味しいものをいただいたら、子供に食べさせるじゃないですか。母はそれを絶対にしなかった。自分で全部食べてしまうんです。だから、母が亡くなったとき、実家の押入れには、中身が詰まったクッキーやかりんとうの缶がたくさん出てきました」
だから、和夫さんは親孝行したいとは思ったことがない。
「“お母さん”と甘えに行けば、引っ叩かれていましたからね。とにかくこの境遇から抜けたいというガッツを得たのはありがたいと思いますけれど。高校も自力で卒業したようなものだし。背広を着て働く人になりたいという、野心しかなかったです。親孝行したいとは思いませんでした」
そんな和夫さんも、家庭を持つ日が来る。30歳のとき、上司に勧められて見合い結婚をしたのだ。
「当時は結婚しなければ半人前と言われていた。妻は役員の遠縁の娘でした。出世になるなら、なんでもよかった。何度かデートをしましたが、接待くらいの気持ちだったことを覚えています。向こうも結婚できれば誰でもよかったみたい。学歴と勤務先、年収にこだわっている人で、結婚して、僕が夜学を卒業したことを知って“離婚したい”と言い出したんです。そういう人なんですよ」
【徹底的に性格が合わずに、家庭内別居から、別居に発展していく…次のページに続きます】