定年後、家事が心の支えになる
義夫さんには家族がいる。2歳年上の妻と、40歳と35歳の娘だ。娘たちは結婚している。
「プライベートも順風満帆でした。信頼できる妻と、ユニークな娘たち。欲を言えば息子が欲しかったことくらいでしょうね。僕は会社一筋だったから、家庭に干渉しないのもよかったと思う。妻は親の会社を手伝って給料をもらっていたけれど、全額を小遣いにしており、フラダンスだ、友達と旅行だ、海外旅行だと言っても、私は笑顔でいつも行ってらっしゃいと送り出していました」
実際に妻から「あなたは“俺の晩飯は誰が作るんだ”ってことを聞かないし、私を褒めてくれるし、“何もしない夫”って最高よ」と言われている。といっても義夫さんはマメだ。妻に言われずともゴミ出しや掃除を自らやっている。
「妻の負担の方が多いですから、できることはやらなくては。65歳で定年になったときも、“家事があって良かった”と思いました。自分がやらなくてはならぬ役割があることは心の支えになるから」
会社と一心同体だった義夫さんにとって、「明日から仕事がない」と思うことは、世の中の全てから切り離されたような状態だったという。
「必要とされていない、もうあのビルには入れない、会社に行けるだろうが行っては迷惑になる、僕の人生はなんだったんだろうか……そんな言葉がぐるぐると頭を巡りました。妻が“大型客船に乗りましょう”と1か月の船旅に誘ってくれなければ、うつになっていたと思う。強引に日常と切り離して、長期間を過ごすことで、気持ちが切り替えられた」
帰宅後、今後の人生を本読んで考えようと、書店に足を向けるも、馴染みの店はとっくに廃業していた。ショッピングモール内の大型書店は照明が明るく、自己啓発関連本と絵本やマンガだらけで、教養を深める本は少ない。
「そこで、図書館に行ったら、僕みたいな定年後の男たちがずらりといた。あれを見たときにハッとした。彼らと僕は同じ年代なんだけれど、“あそこには入りたくない”と思った。そこで、都心にある有料のライブラリーの会員になろうと見学に行きました。びっくりするくらいのスタイリッシュな空間で、1時間もいられなかった。そこにいたのは、経営者や、若手起業家という雰囲気の人々。当然、みんな東大出身なんだろうな、って。彼らの会話を盗み聞きすると、ビジネス、社会貢献など経験も知識も圧倒的。ここに僕の居場所はないと思いました」
加えて、定年後の恐ろしいことは、お金が減っていく一方ということ。
「いくらあっても足りないと思ってしまうんだよね。僕はそれなりに貯金があるし、NISAも制度が発足した当時からやり、それなりの結果も出している。加えて年金だってもらっている。それでも足りないのが定年後の人生なんだよ」
おそらく、義夫さんの資産をざっと見積もると、億に近いのではないか。55歳で役職定年になったことを機に、子会社の役員として出向。65歳まで働き続けたので退職金の額も相当だろう。
「みんなそう思うんだよ。でも違うの。僕は55歳までほとんど貯金ができなかった。“それなりにある”と言ったのは、“夫婦二人の生活はなんとかなる”という意味。まず、ウチの娘たちは、小学校から大学までエスカレーターの私立に進学させている。これは妻の方針で、“女の子に勉強で苦労させたくない”という考え方があるから。長女はそれで良かったんだけれど、次女は“パパと同じ学校に行きたい”と僕の学校を受験。現役で失敗し、一浪しても失敗し、結局ランクが下の私大に進学したんだけれど中退し、一時期アメリカ留学して、日本の美大に編入しているからね」
親が子供に教育費をかけるのは愛情を示す一つの指針にもなる。娘たちは早々に自立し結婚。次女はメディア関係の仕事をしており、かなり稼いでいるという。
「でもね、婿さんがレトロな喫茶店のアルバイトなの。今っぽいでしょ。夫婦仲がいいから、それでいいんだ」
【SNSの投資詐欺に遭い「死の縁まで歩いたと思う」……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。