マンションの最上階の柵に座り、「勇気が湧いたら飛び降りようと思っていた」
中学ではいじめの内容も過激になっていったという。
「悪知恵が働くんでしょうね。その子とは部活、バレー部が一緒だったんですが、まずは部活での無視が始まって、顧問がいないときにはボールをぶつけられたりしました。そして、その部活だけのいじめが広まって、クラスでも無視が始まった。中学から給食はなくなってお弁当になったんですが、みんな好きな子と机を合わせて自由に食べていました。だからそのときが地獄でした。学校の中庭で食べたり、トイレで食べたり。でも、1年の最後のほうには机で1人で食べるようになりました。お弁当を食べた後に席に戻ると机にいたずらをされるようになってしまったから……。その頃には男子を含めてクラス全員が私が1人なのにも気づいていたから、もう開き直っていました」
親にバレたくないから、学校も部活も休めない。そして担任の教師に訴えることもしなかったことで2年にあがったときにはいじめの主犯と一緒のクラスになってしまう。
「2年にあがったときあたりから、私の家は8階建てのマンションだったんですが、低層階に住んでいたのに8階まで上がって非常階段から外を眺めるようになりました。勇気が湧いたら飛び降りてやろうと思って。柵の上に登って飛び降りるだけの状態まではいけるんですが、そこから飛び降りる勇気は、ありませんでした。
そんなことを繰り返していたら、8階に住んでいる方から私の母親に連絡がいってしまって」
いじめられている事実は伝えられなかったが、母親から学校に行かなくていいと言われた。
「そこからしばらく学校を休んでいたら、先生が家に来るようになって、そこで初めていじめられていることを口にしました。学校に行きたくないと」
芽依さんが休んでいた期間は1か月ほど。1か月後に学校に行ったときにはいじめはなくなっていた。
「周囲から、あの子は学校にいじめを伝えたみたいな少しピリッとした空気を感じて、みんなその当事者になりたくないから私に干渉しなくなったんだと思います」
担任の配慮や高校進学をきっかけに無視は続くも加害はなくなった。しばらくは穏やかに暮らしていたが、芽依さんの二度目の自殺念慮は社会人になってから。大人の、より陰湿ないじめが始まった。
【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。